バスケ少女として日々を送り、作られた身体
若手女優がスポーツ少女を演じる時、ネックになるのは体幹の筋肉である。芸能界を夢見る少女たちは、デビュー前からオーディションのためにダイエットで体重を落とす。映画のオファーが来てから役作りのために必死にフォームを身につけ形を学んでも、役作りはできても身体づくり、筋肉のビルドは短期間には不可能だ。その身体の「動き」がリアルであるかどうかは観客に伝わる。
映画『ちはやふる』で綾瀬千早を演じる広瀬すずは、モデルのように華奢な体型をしていない。朝食も昼食も満腹になるまで食べ、思い切り汗を流して練習する体育会系女子の体型をしている。それは広瀬すずが何度かインタビューで語るように、小学生時代から特に女優やモデルなど考えたこともないバスケ少女として日々を送ってきたからだ。映画の中で躍動するための筋肉のついた身体を、オファーのはるか前から持っていたのである。
映画『ちはやふる 上の句/下の句』では、広瀬すず演じる綾瀬千早が心の高ぶりとともに全力疾走するシーンを両編ともに長回しで撮影している。「全力で走る」という行為はシンプルであるがゆえにごまかしがきかない。筋肉の躍動、走るフォームで観客にその運動能力がはっきりと伝わる。
中学2年にして50mを7秒台前半で走り、「学年の女子の中で一番速かったと思います。でも、中3になって陸上部の子が6.9秒出してきて、悔しい! って思って(笑)」と公開当時のインタビューで語る広瀬すずにとって、綾瀬千早が躍動するシーンは演技ではなかった。ありあまるエネルギーを爆発させる、カメラの前のスポーツだった。
演技のテクニックでスポーツを表現するのではなく、カメラの前で実際にスポーツとしての競技かるたを若手俳優たちが行う。それを当時最新鋭の機材であった超高速カメラPhantom Flex4Kでスーパースロー撮影をする。これが『ちはやふる』シリーズのコンセプトであり、画期的な演出だった。
最終回直前、ついに千早のライバルである若宮詩暢役・松岡茉優の出演が公式から発表された。
2016年に行われた松岡と広瀬すずの対談では、スポーツと演技の合間で行われた撮影の様子がよく語られている。
松岡:そうなんですよ。二人の息を合わせるだけではなくて、お互いに本気にならないと詩暢が千早からギリギリ1枚だけを取る(緊迫感のある)画が撮れなくて。でも、先に札をはらい始めている千早の隙を突いて、わたしが1枚抜く手のアップを撮ったときに奇跡的に成功したんです。それで「やったー! すずー!」と言いながら、抱きついてくると思って手を広げたんだけど、すずは悔しそうにムスーッとした顔をしていて(笑)。欲しかった画が撮れたからこれでいいじゃん! これが正解じゃん! って思うんだけど、本気で悔しがっていたんです。
広瀬:本当に悔しいんですよ。撮影とわかっていても、かるたの試合を本当にやっているモードになっちゃうんです(笑)。
松岡:その気持ちはすごくわかる。わたしも千早に「しのぶれど……」の札を抜かれるシーンのときは本当に悔しかったです。
1秒に1000フレームという超スロー映像の時間の中で、意識で動きや表情を完全に制御できる俳優はこの世にいない。監督や撮影班ですら、カットをかけて再生映像をスローで見るまでカメラが何を撮影したのかわからない。1000分の1秒をとらえるカメラで撮影されるのは俳優たちの無意識であり、身体のドキュメンタリーである。活発な代謝で滝のような汗を流し、獲物を狙う猫のように目瞬きをしない瞳を持つ広瀬すずは、その1000分の1秒の世界で半ば演じ、半ば本当にスポーツをすることで綾瀬千早を演じることができる稀有な女優だった。

