だが同時に、それほどスポーツ映画に高い適性を持ちながら、興行的にも批評的にも高い評価を受けた『ちはやふる』3部作以降の広瀬すずがスポーツ映画から距離を置いてきたのも前述のように事実である。
テレビ朝日バスケSPブースターをつとめるバスケのみならず、キックボクシングで汗を流し、女子バレーボール代表の試合にも思わずXに投稿して応援の声を送るなど、スポーツを愛する心は今も変わらない。だが、俳優としては『ちはやふる』3部作の完結後、スポーツ映画への出演を避けてきた。その理由は「俳優としての幅を広げる」ためだけだったのだろうか。
広瀬すずも「綾瀬千早になれなかった」1人
『ちはやふる-めぐり-』の脚本の優れた点は、「綾瀬千早になれなかった子供たち」を主人公にしているところである。輝くような青春の情熱、そこから疎外され鬱屈を抱えた少年少女たちが再び情熱と青春を取り戻すまでの物語をドラマは美しく描く。最終回の1話前、「『百人一首は歴史の敗者が集められた』と言われることがあるのをご存じですか?」と上白石萌音演じる大江奏は、今回のドラマの主人公である藍沢めぐるに語る。
それは今作のドラマのみならず、原作漫画を含めた『ちはやふる』シリーズすべてを貫くテーマでもある。太陽のように白熱する才能と情熱を持つ綾瀬千早の前に、多くの登場人物たちが敗れ去りながら、しかし再び自分自身を取り戻し歩き始める。『ちはやふる』とは綾瀬千早を主人公としながら、同時に「綾瀬千早になれなかったすべての人たち」を祝福する青春敗者復活劇でもあったのだ。
奇妙な言い方に聞こえるかもしれないが、綾瀬千早を誰よりもよく演じた広瀬すずもまた「綾瀬千早になれなかった」一人なのかもしれないと思うことがある。競技かるたと女子バスケットを入れ替えれば、芸能人の姉を持ちながら学年一、二を争う俊足でスポーツに打ち込む広瀬すずはまさに綾瀬千早のような青春を送っていたはずだ(綾瀬千早にも綾瀬千歳という芸能人の姉がいる)。
「子供だったので、芸能界入りを断る選択肢が自分の中になかった。断り切れずに(芸能界入りの)電話を切ったあと大号泣した。バスケに影響しない程度でという約束で仕事を始めたのに、それが守られずに泣いて事務所に抗議した」
先日放送された『人生最高レストラン』で語ったのみならず、広瀬すずは何度か過去のインタビューでそのことを率直に語っている。
『ちはやふる』の綾瀬千早にたとえれば、姉の事務所の社長に勧誘されて始めた芸能界の仕事が軌道にのり、瑞沢高校の仲間と競技かるたを続けられなくなってしまう。いわばその状態が広瀬すずの人生だったとも言える。
「気持ちはわかるが、しかし今の女優としての成功を考えれば」と誰もが思うだろう。紀伊国屋演劇賞を初めての舞台で獲得し、カンヌ国際映画祭のレッドカーペットを2度歩き、ノーベル文学賞受賞者のカズオ・イシグロから『キネマ旬報』の広瀬すず特集に最大限の賛辞が寄せられる。それが広瀬すずが今いる場所である。一体誰がこの目もくらむような成功に対して「望み通り静岡県でバスケをやらせてあげればよかったのに、かわいそうじゃないか」と言えるだろうか?
だが世の中がどう見ようと、「青春を半ばで断ち切られた」という経験は広瀬すずの人生に暗い影を落とし、何度もインタビューの中に痛みとともに「あったかもしれない普通の青春」の幻が語られる。

