豪雨に弱い長崎市では「防災行政無線」に代わって採用
――京都以外の主な採用例はありますか?
清野 たとえば長崎県長崎市。ここは1982年に、299名の死者・行方不明者を出した長崎大水害が起こるなど、地形が独特で、土砂崩れなどの豪雨被害を受けやすいとされます。集中豪雨になると屋外拡声器からの声が聞こえないため戸別受信機は必須です。ところが防災行政無線での戸別受信機は1つあたり整備単価が10万円以上。一方で、ポケベルの防災ラジオは18,000円。ざっと8万円の差ですよね。長崎市って約20万世帯あるので、もし全世帯に入れたら160億円の差が出るんですよ。
それでもずっと防災行政無線が使われていたんですが、2017年の九州北部集中豪雨が起こり、長崎市は「ゼロベースで考えよう」と。今年度に着工の予定です。
最後のポケベル会社だから、できたこと
――ところで清野さんはもともと外資系ファンドに勤めていた方なんですよね? 現在のお立場になられたのはそもそも、東京テレメッセージにファンドマネージャーとして資金提供をしたところからだそうですが、なぜ「過去の遺物」扱いされていたポケベルに注目されたのでしょう。
清野 ひとつはポケベルに対して先入観がなかったのが大きいですね。私は女子高生にポケベルが流行っていた時代にアメリカにいたもので、ポケベル自体について全くと言っていいほど知識がなかった。だから携帯全盛期にあって「過去のツール」のような扱いをされていること自体、感覚としてよくわからなかった。もう一つは総務省のベテラン技官から「これは防災無線に最適」だと推されたこと。これがきっかけでポケベルというものに注目しはじめました。調べてみると、これはうまく転換して成長させることができるかもしれないと確信に近いものを感じたんです。
――チャンスだと。
清野 そう。2007年にはNTTドコモがポケベル事業から撤退して、東京テレメッセージだけがポケベル技術を応用できる企業になった。この年からファンドとしてお金を出すことに決めたんです。ただリーマンショックによりファンドは日本から撤退することになってしまった。このままではせっかくのポケベル波もこれまでと思い、私も香港系のヘッジファンドとかあちこちに、「ポケベル波は絶対にビジネスになる!」と語って回ったんですが、誰も相手にしてくれなかった。そして3.11の次の年、2012年に、これはもう自分がやるしかないと決めて、社長に就いたんです。
――これほどポケベル技術を防災に応用するビジネスに熱心なのは、ご出身が福島ということもあるのでしょうか?
清野 そうですね……。あると思いますよ。こんなところで社長を引き受けたら、とんでもない火ダルマになるとは思いましたけど、それでもリスク取ったのはそういう気持ちもあったからでしょうね。ファンドの仕事をしながら「リスクを取らないことがファイナンスの鉄則だ」と分かっているのにもかかわらずですから。この不思議な巡り合わせを自分の役割と考え、ビジネスとして、そして防災の未来を切りひらくような展開ができればと思っています。
写真=佐藤亘/文藝春秋