狂言回しの役割を担う純による「拝啓、恵子ちゃん」「拝啓、母さん」などの語り出しから始まるナレーション(ときにモノローグ)もこのドラマの持ち味のひとつだ。令和の今では絶滅危惧種となった「手紙」というモチーフは、『北の国から』の抒情性をより一層高めている。

 といっても、ナレーションのほとんどは純が実際に東京のガールフレンド・恵子(永浜三千子)や母・令子に宛てて送った手紙ではない。人は誰しも、心の中で書いた手紙を抱えて生きている。「あのとき言えなかった言葉」というのも、『北の国から』というドラマを形づくる重要な要素だ。

吉岡秀隆 公式サイトより

 ちなみにこの「手紙形式の語り出し」と「~と思われ」「~なわけで」などの独特な言い回しのナレーションは倉本聰氏のお家芸で、『前略、おふくろ様』シリーズ(1975~1976/日本テレビ)にはじまり、『北の国から』の純に踏襲され、のちに『拝啓、父上様』(2007/フジテレビ)にも受け継がれている。

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『北の国から』は群像劇なので、登場人物が多い。しかも「富良野のどこかに、こんな人が本当にいそう」という、一人一人の実在感が際立っている。倉本聰氏は「登場人物の詳細な履歴書を作ってから執筆にあたる」という脚本スタイルで知られるが、その逸話のとおり、それぞれの人物の言動からその人の来し方が見えてくる。

「そんなことは、全然知らなかった」というナレーションの意味

 人物の数だけ物語がある。それらを目撃するのは視聴者だけで、登場人物どうしは必ずしも各々の事情を共有しない。

 純のナレーションがよく「そんなことは、全然知らなかった」と言う。初出は連続ドラマ第12回。麓郷では有名な偏屈者である杵次(大友柳太朗)が蛍のかわいがっていた狐を、毛皮として使う目的でトラバサミにかけてしまう。杵次の孫で純の親友・正吉(中澤佳仁)が初めて祖父に対して反抗心を抱き、「チョッキはもういらん!」と告げるシーンだ。

 並のドラマならばこれを純に立ち聞きさせたりするだろう。しかし正吉には正吉の人生があり、彼だけの世界がある。このドラマには「他者領域の尊重」、つまり「その人の心はその人のもの」という大人の作劇が随所に見てとれる。

「他者領域の尊重」は、きょうだいである純と蛍の間にももちろんある。第4回、「令子と煙草とハイ・ファイ・セットの記憶」の描写が白眉で、何度見ても唸ってしまう。