「情けない」と嘆いていた父・五郎にどんどん似てくる息子
親子の血縁による「再演」もある。純は、あれだけずっと「情けない」と嘆いていた父・五郎に、歳を重ねるごとにどんどん似てくる。女性にすぐ惚れるけれど、なかなか愛が実らない。
血縁からは話が逸れるが、連続ドラマ第23回で、令子の恋人・吉野(伊丹十三)が純に向けた「(君はこれから女性を)何度もいっぱい好きになる」という言葉が現実のものとなるのも趣深い(ちなみにその後に吉野が続けた「おじさんは終わった。もう、みんな終わった」も連続ドラマ屈指の名台詞だ)。
まだ「富良野の大地」のように円熟する前の五郎に似た純は、向き合わねばならない問題から目を背け、流される。しかしやがて富良野に戻ってきて、ごみを拾ってきて再利用して暮らし、五郎の生き方をなぞっていく。そして、全シリーズ21年の歳月をかけてやっと純は五郎を「素敵だ」と心の中で言う。
また、皮肉な「再演」もある。純は小学生の頃、父とねんごろになったこごみ(児島美ゆき)に対して「水商売の女」と蔑みの言葉を向けて五郎に叱られた。それがやがて自身の身に返ってくる。『'89帰郷』では茶髪だというだけで「不良」のレッテルを貼られた。『'95秘密』『'98時代』で純は富良野市の臨時職員としてごみ収集業に従事しているが、世間から「小さな差別のようなものを感じ、傷つき」とモノローグで語っている。
小さい頃あれだけ「父さん子」で優しい娘だった蛍がやがて道ならぬ恋をし、家族に背を向け、母・令子と同じ道を辿ってしまうというのも因果な話だ。演じる中嶋朋子が意識したか、『2002遺言』で三十路になった蛍のふとした表情や物言いが、ドキッとするほど在りし日の令子に似ている瞬間がある。こんなことも、連続ドラマから見ていると味わえる「楽しみ」のひとつだ。
『北の国から』は決して「正しくあれ」とは言わない。正論を語らない。しかし、連続ドラマ放送開始から44年の歳月が経った今も変わらず、見る者の心に「本質とは何か」を問い続ける。夏休み期間中に放送されたこの昭和ドラマは、現代の視聴者の目に果たしてどのように映ったのだろうか。
