この夏、連続ドラマ版『北の国から』(1981~1982/フジテレビ)の全24話が再放送された。その後8編制作されたスペシャルドラマの起源である連続ドラマ版は今もなお、我々に生きることの意味を問いかけてくる。(全2本の2本目)
こんなにも生々しく人間の業を描いた作品が「国民的ドラマ」と呼ばれ、多くの人に長く愛され続けていることは、ある意味奇跡だと言える。
『北の国から』の「泥臭さ」の象徴とも言えるのが、田中邦衛が演じる主人公・黒板五郎だ。連続ドラマを未見で、スペシャルドラマのみを見た視聴者の中には、純(吉岡秀隆)が主人公だと思っている人も多いらしい。たしかに『’87初恋』『’89帰郷』『'92巣立ち』など、純の恋や挫折にスポットが当たるスペシャルドラマだけを見ればそう思われても致し方ない。
しかし、このドラマの主人公は、連続ドラマから最後のスペシャルドラマ『2002遺言』に至るまでずっと変わらず、五郎なのである。純や蛍(中嶋朋子)がフィーチャーされるスペシャルドラマにおいても、その底流には絶えず五郎の物語がある。朴訥で不器用で、子どもらへの愛情の発露がいつも空回りし、地べたと格闘し続けるおじさんの物語が。
妻に浮気されて東京を離れ、富良野に一体化していく
連続ドラマの第1回は、妻の令子(いしだあゆみ)に浮気され、五郎が小学生の純と蛍を連れて東京から富良野へ帰郷するところから始まる。以降、このドラマはずっと「富良野(地方)」と「東京(都会)」を対比させながら「人はいかに生きるべきか」を問いかけ続ける。
電気も水道も通っていない廃屋を建て直し、原始的な生活を良しとする父・五郎と、五郎の「業」の巻き添えを食らって富良野に連れてこられた純。「富良野」と「東京」という題材が、そのまま五郎と純に投影されている。
いかにも都会のもやしっ子の純は第1回からずっと東京に帰りたいと思っている。父と息子が互いに写し鏡になっているのが面白い。純を狂言回しとして配置することで、彼を介して五郎の愚直な生き様があぶり出されるという仕掛けだ。
五郎は、彼の子離れの物語でもあった『'92巣立ち』あたりから『2002遺言』にかけて、富良野の大地を体現する存在へと円熟していく。一方純は、行きつ戻りつしながらも『2002遺言』で結婚して身を固めるまで、長いモラトリアム期を過ごす。『北の国から』は不動(=五郎)と変動(=純)の物語と言えるのかもしれない。
時代とともに人々の価値観は変容する。しかし、どんなに時が流れても変わらない「本質」がこの世界のどこかにあるのではないか。そんな問いかけが、このドラマにはある。

