《純、蛍、俺にはお前らに遺してやるものが何もない。
でも、お前らには、うまく言えんが、遺すべきものはもう遺した気がする。
金や品物は何も遺せんが、遺すべきものは伝えた気がする》
2008年10月に山形市内で開かれたトークショー。『北の国から 2002 遺言』(フジテレビ系)で「黒板五郎」が語った“遺言”のセリフを、田中邦衛さんがあの独特の間と口調で朗読し始めると、会場には嗚咽が広がり、最後は号泣する人まで現れたという。
田中さん自ら手書きした“遺言状”
このトークショーで聞き役を務めたのが、山形県内でラジオパーソナリティとして活動している荒井幸博さんだ。エフエム山形やYBCラジオに出演し、山形市内での映画祭やトークショーのコーディネイトをするなど、山形に根差した活動をしている。講演やトークショーにはほとんど出演しない田中さんが、「荒井さんが聞き手なら出る」と言うほど信頼を寄せた人物だ。
「本番前に、遺言の部分を書き写したものをお渡しして、これを読んでもらえますかとお願いしたら、邦衛さんは照れながらも了承してくださった。でも読む前に自分の手でもう一度、全部、書き直したんです。邦衛さんは味のある字を書かれるんですが、1文字、1文字、本当に遺言を書くように、丹念に書いていく。倉本聰さんが書いた脚本のセリフなんですが、このときに本物の五郎さんの遺言になったと思った。
本番で『純、蛍、俺には~』と朗読が始まると、さざ波のように嗚咽が広がっていった。邦衛さんの言霊によって五郎さんが蘇る瞬間に立ち会えたような気がしました」
放送から6年もの月日が経っていても、記憶が蘇る。『北の国から』の五郎は、それほどファンに愛された存在だった。
『若大将』シリーズや『網走番外地』など数多くの作品で、名脇役として存在感を示してきた田中邦衛さん。2013年ごろから体調を崩して療養生活を送っていたが、2021年3月24日、老衰により88歳で亡くなった。葬式は家族葬で執り行われ、メディアを通じてその死が公表されたのは4月2日だった。
「山形市で桜の開花宣言が出た日でした。桜の名所の霞城公園で邦衛さんとキャッチボールして、自転車を乗り回したことを思い出しました。今でも亡くなったという事実が信じられなくて、邦衛さんのことを思い出すと、つい笑っちゃうんですね。楽しかったことしか思い出せないのです」(荒井さん)
そんな公私共に親密な関係を築いていた荒井さんの口から、田中さんの在りし日の思い出を語ってもらった。