「なんか、色々な意味で縁があるなと、OSO18というクマと(笑)」
――『OSO18を追え “怪物ヒグマ”との闘い560日』(藤本靖・著/文藝春秋刊)を朗読されたご感想は?
國村 たまたまですけれども、これはドキュメンタリーを、テレビのほうのナレーションもやらせて貰っていたので、しかもそれが前後編とあって。で、OSOがまだ捕まっていない状態で、ずっとそれをやっていたものですから、このOSO18に関して言えば、色々とある程度の知識もそのナレーションを通してありました。
考えてみたらそれがご縁でなんですけれども、藤本さんとこういう形で、藤本さんが「ぜひ、私の書いた本をやってくれ」みたいなことだったので。
なので、どう言うんですかね。なんか、色々な意味で縁があるなと、OSO18というクマと(笑)。
――本書のAmazonオーディブル版の朗読収録に当たって心掛けられたことは?
國村 今回、まったく初めてなものですから、このAudibleというものを収録するのが。でまぁ、ざっくり「朗読」という捉え方で良いのかなというのを最初は思っていたのですけれども……。
やっぱり同じ本でも、例えば小説だったりフィクションのものもあれば、今回の「OSO18」のようにドキュメントというか事実を書き起こされて、まさにそのままの本なので、それを活字を音にしてお伝えすること自体は同じでも、中身がまったく違うので。
今までナレーションとかも含めてですけれども、どちらかというと“自分の表現”みたいなものをベースに考えて行けば成立していたものが、これに関して言えばそれだけではなくて、やっぱり色々な実際の事実関係をきちっとお伝えしなきゃいけないだろうなという。
一つの作品の中に入っている文章でも、事実関係の例えば新聞記事であるとか、それぞれの登場して来るキャラクターのセリフという実際の肉声を活字にしたカギカッコ部分であるとか色々あるので。それを聞いてる人が飽きないように、楽しめるように読むにはどうしたら良いのかなという、入口はそこからで、“単なる朗読”というイメージでもなさそうだなと。
――(演技と比較して)声の仕事の魅力や難しさについて教えてください。
國村 やっぱり音だけで中身をお伝えするという難しさですね。
特に、例えばラジオドラマが分かり易いかもしれませんけれども、僕たちの「ト書き」というか説明ではなくて、セリフのやり取りでもって、空間の大きさであったり距離感であったり、あるいはそれがアウトドアなのかインドアなのかも含め、色々な音だけで聞いてるお客さんに、今の映像が浮かぶという風に、こちら側は伝えなきゃいけないという所。そこが一番難しくて、一番面白い所じゃないかなと思います。
小説って大体それを自分一人でやっていますでしょ。小説というか、活字を読むということは。
自分で、例えば小説であればその小説の時代背景であったり、合戦のシーンだったとしたらその合戦が頭の中に何となく像を結んでいますよね。
それを逆に言えば、僕がお伝えした音声でもって、聞いているお客さんにそれを、ふっと喚起して貰うということが出来ないと、楽しめないだろうなと思います。
