「ついに(事故が)起きてしまったなというのが率直な印象です」
「南知床・ヒグマ情報センター」の藤本靖の第一声に、私は軽く衝撃を受けた。8月14日に起きた「羅臼岳ヒグマ襲撃」の発生直後に電話をかけたときのことだ。藤本は66頭の牛を死に至らしめた前代未聞のヒグマ「OSO18」を最後まで追い詰めた「OSO18対策班」のリーダーを務めた人物である。
羅臼岳のある知床半島は世界有数のヒグマ密集地域として知られるが、「知床財団」をはじめとする関係機関の安全管理への不断の努力により、世界自然遺産に登録された2005年以降、登録区域内ではヒグマによる人身事故は起きていなかった。
「北海道新聞」によると、記録が残る1962年以降にまで遡っても、知床連山の登山道でヒグマによる人身事故は確認されていない。そのためヒグマに関する記事を書いてきた筆者にも「知床のヒグマは人を襲わない」という思い込みがあったことを否定できない。だが、藤本には「まさか知床で……」と驚いた様子はまったくなかった。まずは事故の概要を振り返っておきたい。(全2回の1回目、後編に続く)
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「助けて!」登山道に響き渡った悲鳴
2025年8月14日午前11時ごろ、北海道知床半島にある羅臼岳(1661m)には大勢の登山客が詰めかけ、世界自然遺産の雄大な景色を堪能していた。その最中である。
突如、登山道に「助けて!」という悲鳴が響き渡った。声の主は友人のBさんと2人で登山に来ていた東京都在住の会社員、Aさん(26)。2人は既に登頂を終え、岩尾別コースと呼ばれる登山道を下山途中だったが、AさんがBさんに200mほど先行していた。Bさんが急いで駆け付けると1頭のヒグマがAさんを襲っており、Aさんは太腿から大量に出血していたという。Bさんは素手でクマを叩いて助けようとしたが、離れなかったため、携帯電話の通じる登山道上へと移動し、警察に通報した。午前11時10分だった。
現場は通称“560m岩峰”の南側を巻くような狭隘な道で、見通しの悪い場所だったという。当時、この登山道には複数人の登山者がいた模様だが、事故発生の瞬間を目撃した人は周辺におらず、Aさんがどのような状況で襲われたかは不明である。
