2003年に起きた、一家4人が殺され、海に遺棄された「福岡一家4人殺人事件」。加害者は中国からの留学生3人で、そのうち2人は事件後に中国へ逃亡し中国の当局に逮捕され、1人は日本国内で死刑が執行された。

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 事件発生から22年後となる、25年6月某日のこと。私は福岡県内のとある駅のそばで、初対面の男性と待ち合せた。

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 その男性、Qさんは現在77歳。彼は元福岡県警本部捜査一課の刑事で、前記の事件では、現場の捜査指揮を執る特捜班長だった。

殺害されたAさんの家

「残忍なやり方やから、暴力団系の犯罪じゃないかって」

 引退して時間が経っているとはいえ、往時の精悍な雰囲気を残すQさん。彼には事前の電話で、この事件の捜査について聞かせてほしいと伝えていた。

「いやいや、もう昔のことで、忘れていることも多いから……」

 電話口でそう謙遜する彼に、強引にお願いして叶った対面である。私たちは近くの建物内にある喫茶スペースで向き合った。私は挨拶に続いて切り出す。

「あの事件では、博多湾の海中からAさん一家4人の遺体が引き揚げられ、福岡東署に捜査本部が設置されることになりました。Qさんは、この事件が起きた際に、どういう事件であるとの見立てでしたか?」

「最初はヤクザ関係……暴力団関係による犯行じゃないか、と。というのも聞き込みで、(Aさんの)家の前に黒っぽい大型の車が、停まっとったっちゅうことだったんですよ。それで当初は、その車の割り出しに捜査員をつぎ込んで、相当力を入れとったんです。まあ結論は違いましたけどね。

 あと、Aさんの車が久留米(市内の工場駐車場)で発見されたでしょ。久留米といえば地元の暴力団の関係もある。それに被害者には、どっかのマンションの一室で大麻の栽培の話がありましたでしょ。そういうことが絡んで、ああいう残忍なやり方やから、暴力団系の犯罪じゃないかってなったんです」

当時、車のナンバーの下2桁が出ていた

 Qさんはさらりと言う。私自身も被害者であるAさんの知人から、この事件の発生当初は、捜査員がAさんの周辺にいる、暴力団関係者と繋がりを持つ人物を中心に捜査を進めていたとの情報を得ていた。その点で齟齬はない。そこで私は聞く。

「ということは、四課(現:暴力団対策部=福岡県警)の人にも動いてもらったということですか?」

「それはですね、四(課)は入ってないですね。当時、機動捜査ってあるでしょ。そこが動いて車のナンバーの割り出しをしたんです。たしか当時、ナンバーの下2桁が出とったんですよ。目撃証言で。それで車種を特定して、ナンバーから1件1件、車の割り出しをやったんですね。それを機動捜査が担当した」

 ここでQさんが口にした「機動捜査」とは、初動捜査態勢を整備・充実させるために刑事部の附置機関として発足した「機動捜査隊」のこと。主に初動捜査に当たる部署だ。

「その黒っぽい車の目撃証言は近隣住人によるものですか?」

「そうです。結局は違いましたけど、そのことにけっこう時間をつぎ込みました」