2003年に発生した「福岡一家4人殺人事件」の捜査で、現場の捜査指揮を執っていた、福岡県警の元特捜班長であるQさん(77)。当時の捜査について、彼の話は続く。
Qさんによれば、03年8月6日に中国への出国直前に逮捕した、元専門学校留学生の魏巍(逮捕時23)が犯行に関わっていることが明らかになり、当初から捜査に携わっていた十数名の特捜班に加え、同人数の1個班が、捜査に加えられたのだという。
「新たに加えられた班は、中国公安当局との、捜査のやり取りで動くことになっていて、班長が中国に行きました」
中国公安当局に「処罰要請」
本連載の第6回で記したことだが、警察庁と福岡県警の捜査員らが中国・北京に行き、中国公安当局と捜査協議を始めたのが同年9月28日のこと。ここで日本の捜査当局は、中国公安当局に「処罰要請」を行った。
それから約2カ月後の11月25日には、中国公安当局の捜査員が福岡入りし、福岡県警と協議したうえで、殺害現場や死体遺棄現場を視察している。
さらに12月7日には、福岡県警の捜査員や福岡地検の検事らが中国へと向かい、中国国内で逮捕された、同事件の主犯である王亮(同21)と楊寧(同23)に対する、中国公安当局の聴取に初めて立ち会うのだ。
また、それと呼応するように、12月18日には中国公安当局の捜査員が福岡を訪れ、魏に対する福岡県警の聴取に立ち会っている。私はQさんに質問する。
「その新たに加わった特捜班が中国から王と楊の供述調書を持って帰るじゃないですか。その持って帰ってきたものと、日本で取った魏の調書の内容については、かなり整合性があったんですか?」
「そうそう」
異例だった中国側の協力
日本から行った捜査員や検事が王と楊の取り調べに立ち会い、持ち帰った調書は、日本側が事前に送付した、取り調べ項目に基づいて作成されていた。当然のことながら、日本の刑事訴訟法にある通りに、黙秘権の告知をしたうえで、供述内容を口述し、署名させるという手続を踏んだものである。それは中国語の原文で約100ページに及ぶ。私は事前に耳にしていたことを、確認のために尋ねる。
「この事件で見られたような中国側の協力というのは、けっこう異例のことだったんですよね?」
「そうそう、そうです」
「向うの捜査員もこちらに来ましたし、こちらからも向こうに行きましたし……」
「そう。けっこう協力的やったですね。事件そのものは、割れたら(犯人がわかったら)けっこう早かったですもんね。魏を逮捕してからは、けっこう早かったです。まあ、中国人もけっこう逮捕しましたけどね。一つの裏付けというか……」
Qさんはおおまかにしか記憶していなかったが、捜査本部は本件に関係して22の事件で、中国人留学生など延べ37名を逮捕していた。そのなかには魏が王や楊と出会うきっかけとなった、中国人向けインターネットカフェ「A計画」の店長だったK(逮捕時25)や、詳しくは改めて述べるが、魏が出国する時点で同棲していた、ホステスの王蘭(仮名、同22)なども含まれている。

