内へ、内へと掘り下げた8年間

――『別府倫太郎』刊行が14歳の時で、そこから現在までの8年間は、ご自身にとってどのような期間でしたか。

別府 この間は、積極的に外に向けて発表していたというよりは、内に向かって創作していた感じが強いです。自分の表現したいものをそのまま外に出していくというよりは、迷いながら内側に掘っていく。自分とは何者なんだろう、というテーマを掘り下げる方が多かったです。

 それがようやく自分の中で、言葉としても絵としても作品として形が定まってきた。だから、今後はちょっと外に出ていきたいな、発表したいな、という気持ちが出てきて、その足がかりとして今回の個展ができたらと思っています。

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――20歳くらいまでは、迷いや葛藤が大きかったんですね。

別府 そうですね。それは誰しもあることかもしれませんが、「自分、何してんだろう」みたいなことをよく思っていました。学校にも行ってないし、他の人と同じようになれるのか、どこかに所属できるのか、と思って不安になったこともありました。でも、何か違うことをしようとしても、結局は表現や創作っていうところに自分は立ち戻ってしまう。言葉を書いたり、絵を描いたり、それしかないんですね。

――創作活動の中で、特に影響を受けた人や作品はありますか。

別府 美術館に行くことが多くて、アール・ブリュット(生の芸術)に出会った時に、すごくシンパシーを感じるものがありました。既存の美術教育の枠にとらわれない、自分の中から生まれるもので描くしかない、というスタンスに勇気づけられました。

祖父の死を間近で見つめて

――本にも登場されたおじいさまが、1年前に亡くなられたと伺いました。

別府 はい。ずっと一緒に暮らしてきた祖父が亡くなるまでを間近で見たことは自分にとって大きかったです。亡くなる1、2ヶ月前まで酸素ボンベをつけながら「どうしてもトラクターを運転したい」と言って畑仕事をしていました。自分の亡くなる時期もわかっていたんだと思います。

 直前までずっと祖父の写真を撮っていました。その写真と、祖父について書いた文章を一つの形にしたいという思いが強くなりました。目の前で一人の人生が刻まれていくのを目にしたからには、表現者として形にしないと失礼じゃないか、と。この個展が終わったら、そちらにも取り組みたいです。

 祖父が亡くなり、うちはもう農家はやめたのですが、作業場の2階をアトリエに改造しました。祖父の姿を通して、その土地の風土や自然が見えてくるものがあった。人の人生丸ごとの中から見える自然や風土が、自分の表現の核になっているんじゃないかと思います。

祖父の作業場の2階をアトリエに