インターネットで評判になった「別府新聞」は、雪深い新潟県十日町市在住の少年が3年ほど前にたったひとりで立ち上げたネット上の新聞です。
別府君は、幼くして全身性の脱毛症を発症、身体の毛がすべて抜けてしまいました。また、小児ネフローゼという腎臓の病気にもかかり、薬の影響でムーンフェイスに。小学校3年生のとき、あることがきっかけで「学校にいかないこと」を選択し、その後、「別府新聞」を始めます。著名人に会いに行ったり、身の回りのことをエッセイに書いたりして、その文章の瑞々しさが次第に評判になり、このたび『別府倫太郎』として本になりました。(編集部)
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私の本『別府倫太郎』が文藝春秋より出版されます。今も私の気持ちは浮足立っていて、信じられないようなそんな気がします。私には漠然とした不安などがあって、今でもそういう何だか分からないものと共にいます。
自分の本が出版されるというところだけを見ると、それはとても突飛なことのように思えます。ですが、出版までの過程の一つ一つを見ると、その一つ一つが必然的なことのようにも思えてきます。本というものは、急にできるものではないと思います。色々な人が関わって、その過程が積み重なり本はできます。本は残るものであり、時によって読まれ続けることもあるわけなのだと思います。
この私の本も気がつけば、一つ一つの過程を通ってきました。初めは、髪の毛の無いこと、不登校のこと、病気のことを押し出して本を作らなきゃいけないと思っていました。けれど、辿り着いたのは今の形でした。押し出すこともなく、それでわざと引きすぎることもないということです。例えば、それは題名です。『別府倫太郎』という題です。そのままです。本の題名に作者の名前がつくのは、全集くらいかなと思いますが、初めての著書に自分の名前というのは、ある意味で挑戦です。でも、私はこの本にはこの題しかないと思います。この本は一つのことのみを書いているわけでもなく、書いた時の年もばらばらで、6才の時から14才までと幅広いです。全てばらばらと言えば、ばらばらで、でもこれらのものを統べるものは、書いた人が同じ、ということです。ですから、私は書き手ということになります。ですので、その書き手を題名にしたのです。
生まれた時から、その日々、時間には、香りがあり、色があり、光があり、感情があります。そうした時間というものを感じることが、私は書くということではないかと思っています。何年も、何千年前のことでも、その記憶の香り、光、感情などを感じられれば、その瞬間は今に蘇るのだとも考えます。
書くことというと、何か綿密に練って、構想を考えて、という感じですが、私の場合はそうではありません。瞬間、瞬間のイメージ、固形の一つのイメージがぽんと体の中に入って、それを取り留めもなく書いてしまう、という感じです。イメージが先にあり、それを必死に追いかけるようにして書くわけです。でも、構想というか、綿密なものを否定するわけではありません。逆に、綿密に書かれた文章に私は憧れています。今まで何度も、私は綿密に練った、壮大なものを書こうと決心して試みてきました。でも、数ページで挫折してしまいます。そして、「もう俺はだめなんだ!!」と暴れていました。
今は、瞬間、瞬間のイメージが積み重なれば、壮大なものが書けるのではないか、ということにして慰めています。壮大なものは、初めから壮大ではないはずです。初めは、とぎれとぎれで、それがいつか壮大なものになるのだと思います。
そう思うと、この本『別府倫太郎』は壮大で綿密なものではなくとも、救われるような気がします。この本は、6才から14才までに書いた、その瞬間、瞬間が積み重なったものとも言えると思うのです。