空也上人像の「デザインの秘密」
純圓 空也上人の口から出てるこれが「南無阿弥陀仏」なんですが、歴史上で音を視覚的に表現した最初のものという説があって。ネットでも、口から何か出てたら皆空也上人みたいな感じで、タグとか付きますし、面白いですね。
――すごいリアルに彫られてますよね。
純圓 六波羅蜜寺は運慶(平安末期~鎌倉初期の仏師)とすごくゆかりの深いお寺で、静岡県の岩水寺というお寺の御本尊の地蔵菩薩様を解体修理したら、運慶の弟子の運覚が六波羅蜜寺の中の工房で作ったよという書付が出てきたんです。
――六波羅蜜寺に運慶の工房があったんですか?
純圓 当時、寺の敷地は広かったので、あったとしても全然不思議ではない。宮内庁書陵部の資料によると、北は四条通、南は七条通、東は東大路で西は鴨川までが寺域であったと伝えられています。三十三間堂には湛慶の時代(運慶の長男)の慶派の仏像がたくさんあるので工房が六波羅蜜寺にあっても不思議ではないかと思います。
専門家によると康勝(鎌倉時代の仏師・運慶の四男)は人間の特徴をとらえて彫ることに優れた方なので、仏様ではなく実在の人物を彫ったお像を残されています。あえて空也上人をモチーフに彫られたのはそれも理由ではないかと思います。
――空也上人がいた時代から200年くらい経ってて、康勝が彫った時は写真もなかった時代じゃないですか。その時に例えば誰をモデルにして彫られたのであるとか、そういうことって何か伝わっていたり伝承したりしていますか?
純圓 空也上人のことについて書いてある文献は「空也誄(くうやるい)」だけです。空也上人は活動内容の割には記録が全然残ってないのですが、日本各地を行脚して布教活動をされたという伝承は日本各地に残っています。そこから空也上人がどういう方かというイメージが出来たのではないかと思います。


