Apple創業者のスティーブ・ジョブズは日本文化を愛し、特に禅からは強い影響を受けたという。それにはある日本人との決定的な出会いがあった――。

 ここでは「文藝春秋」2025年3月号掲載「ジョブズは和と禅に人生を救われた」を一部抜粋して紹介する。

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 20歳を目前にしたジョブズは、2つの根本問題を抱えていた。世間に馴染めぬ生きづらさと、この世で何をすべきか定められない焦燥。彼は小学校で飛び級するほど才気に溢れていたものの、幼い頃から激烈な気性で、周囲に妥協できず過剰な自己を持て余していた。加えて、生後すぐに養子に出されたことから、自分は何者なのかを知りたいという強迫的な欲求も抱えていた。

スティーブ・ジョブズ Ⓒ時事通信社

 青白い顔をしたジョブズは、ある日、近傍にあった「俳句禅堂」の門を叩く。俳句禅堂は、ガレージを改造した、俳句の文字数と同じ17人だけが坐禅できる小さな禅道場だった。ここで、ジョブズは運命的な邂逅を果たす。

 禅僧、乙川弘文(おとがわこうぶん、1938〜2002)――。

 新潟の寺に生まれ、京都大学大学院で仏教学を修めた後、曹洞宗の大本山永平寺で修行中に宗門から俳句禅堂に派遣された禅僧だった。

乙川弘文は1938年、新潟県加茂市生まれ。67年に渡米した後は、ジョブズをはじめ欧米で多くの弟子に慕われた  ⒸNicolas Schossleitner

「まことに禅の世界は、奇妙なところがあって、他宗派とちがって、傑出した僧侶ほど、表面に出ることをきらい、身をくらまして生きた」

 禅の修行僧を経て作家になった水上勉は著書『良寛』にこう書いたが、乙川弘文も同じくこの系譜にあった。弘文は、世俗欲から遠く離れ、天真(てんしん)に任すような独特の禅境を開き、求められれば禅を伝えに赴くという一処不住の生涯を送った。また、やや天然ボケともいえる飄然とした人柄で、欧米の人々、とくに社会常識からはみ出た人たちから深く愛された。中国唐代に南泉普願(なんせんふがん)なる禅僧がいて、好んで世間から疎んじられた人々と生きたことからその宗風は「異類中行(いるいちゅうぎょう)」と呼ばれたが、弘文にも同じ香気が漂う。

 ジョブズは、急速に、烈しく弘文に傾斜していく。