1977年の創業以来、多くのファンの心を癒やし続けてきたラブドールメーカー・オリエント工業が、昨年8月に突然の閉業を発表。それからまもなく上野のショールームも幕を下ろすこととなり、その直前には古参ファンのほか、「一度はオリエントのドールを目にしておきたい」といった多くの客が足を運んだという。

 だが、2カ月後には一転してオリエント工業が電撃復活することが発表された。いったい、営業再開までに何があったのか。その内幕を、新社長に就任した岡本祐也氏に話を聞いた。(全2回の1回目/後編に続く、取材・文=田中慧/清談社)

新社長の岡本裕也氏 ©清談社

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ラブドールとは縁のない半生だった

 新社長の岡本氏は、じつはラブドールとはそれほど縁のない半生を送ってきたという。

「高校を1年で中退し、しばらくはとび職を。20歳頃に突然一念発起して学問を極めようと、高卒認定を取得しそのままアメリカのドゥルーリー大学へ入学。環境学と歴史について専門的に学び、GPA3.89という好成績を修め、26歳で卒業しました。その後は、海外とのつながりを保ちたい気持ちで、日系の商社に入社。アメリカやタイ、中国などさまざまな国に赴任して働いてきました」

 一度決めたことに対して努力を惜しまない性分が、この時点ですでに形成されていたという。

「ただ、あまりに根をつめて働きすぎていたことがたたり、体調を崩して8年勤めた商社を2018年に退社することに。その後、自分のペースで働けるようにと海外向けのECサイト事業を立ち上げ、家具や鏡などを売っていました。この時点ではラブドールのことはよくわかっていなかったのですが、アメリカなどでは飛ぶように売れているという噂を聞いて、いい商材として目をつけていました」

「海外に売り出せないか」

 EC事業が軌道にのり、開始から1年ほどで法人化。だが、岡本氏の胸中には徐々にある思いが芽生え始めていた。

「せっかく海外に販促のパイプがあるのなら、できれば日本が誇る技術を広められるような商品を売りたいと思ったんです。商材としてラブドールに興味があったこともあって、日本で一番有名なメーカーのオリエント工業という名前は知っていた。なので、いつか何かの縁で、オリエント工業のラブドールを海外に売り出せないかとうっすら夢を見ていた部分はありました」

 根拠もツテもまったくない淡い夢だったオリエント工業との縁ができたのは、閉業発表の年に入ってからのことだったという。