私がいちばん邪悪かもしれない

 知性も意思の疎通能力も自己決定能力も備えた健常者が、毎日毎日やってることは喧嘩とか殺人とか憎悪(せん(どう)なのですからね。ケアで成り立つ障害者の世界のほうが、よほど人間性の防波堤になりえている。

 ケアの現場が必ずしも優しくて温かいと言いたいわけではありません。もちろん人間愛の模範みたいな現場は多いけれども。しかし、生きるためにケアの手を必要とする障害者は、彼人らのようにいちいちくだらない思想上の価値観で他人の言動を善悪に分けて断罪して対立などしていたら、生きていけない場面もある。割り切ったリアリストでなければ、重度障害者の生活は成り立たない。本当は障害者だけでなく、この世界の誰でも、ありとあらゆる他者の手を間接的に借りて生きているのです。障害者はそれを直接的に体感してしまうというだけです。もちろん、何でもかんでも我慢して従属せよという話でもありません。

「目の前にナイフを持って向けられているのでない限り、どんなに思想の異なる人とでも友人知人にはなれるはずだ」と、私はインタビューでよく言っています。〈それでもあれやこれやの邪悪は例外でしょう? 邪悪を(ほう(せつ)はできないでしょう?〉と言ってくる人が必ずいるのですが、例外はありません。こちゃこちゃと理屈をこねて例外を作ればそこから近代社会の自由と公正と人権を支える理性は(ほころ)びていく。だから例外はない。邪悪というなら私がいちばん邪悪かもしれないし。

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 往復書簡の三便に渡っていろいろと書いてまいりましたが、私は小説の外ではとりわけ言いたいこともなく、締切と字数の要請で無理やり言葉を(ひね)り出しているだけですので、私のことをあまり信用しないほうがいいのにな、といつもいつも思っています。私には、障害者として(ひん(ぱん)に街に出て障害者らしい苦労をしてきた経験もないので、私に一般的な障害者のことを訊かれても困ってしまうのが正直なところです。

 荒井さんには事あるごと、メディアの取材に巻き込むかたちになってしまい、申し訳ないかぎりです。先日は『ハンチバック』英訳版の発売に(ともな)うニューヨーク・タイムズ紙の取材でもお時間を割いていただき、どうもありがとうございました。帯文を採用していただいたご著書『無意味なんかじゃない自分』(講談社刊)では、『いのちの初夜』の作者・北條民雄の人物像が(なま(なま)しく立ち現れる筆致に荒井さんのお仕事の真骨頂を見ました。北條民雄のあられもないプロ志向と野心が、あまりにも私のそれと似ていて赤面を抑えられなかったという話を、今度お会いした時にしますね。

市川 拝

(二〇二五年六月二十日)

ハンチバック (文春文庫)

市川 沙央

文藝春秋

2025年10月7日 発売

女の子の背骨

市川 沙央

文藝春秋

2025年9月26日 発売

凜として灯る

荒井 裕樹

現代書館

2022年6月21日 発売

次の記事に続く 読書バリアフリーは利便性ではなく人権の次元、あるいは社会的排除の問題として語られるべき。いまも文学そのものから遠ざけられる人がいる