かつて、Tシャツの裾を入れるのはダサかった。しかし今、タックインはおしゃれな着こなしとして定着している。なぜこのルールは変わるのか? そもそもなぜ裾の出し入れに同調圧力が生じるのか? そんな独自の視点でTシャツと若者の関係を読み解いたのが本書『Tシャツの日本史』だ。著者の高畑鍬名さんが 「Tシャツの裾」問題に気づいたのは学生時代だった。
「学生時代に映画の現場に衣装助手として参加しました。台本には服装の描写はほとんどないので、『服に興味のない人が着る服』を考えるのですが、その目線で小説や漫画の描写を見ると、服装に対する作者の無頓着が見えてくるんです。漫画『幽☆遊☆白書』では1つの戦闘シーンの中で登場人物のシャツの裾が出たり入ったりしてシーンが繋がらないところがあります。『ここに時代の無意識が表れている。なんて豊穣な無頓着だろう!』と思ったんです」
2014年に書いた修士論文のテーマは『東京の若者はなぜTシャツの裾を出すようになったのか』。
「でも、修士論文を書き終えて久しぶりに原宿に行くと、若い人がTシャツの裾をインしている。これは変だぞと気づき、この問題を掘り下げなければという使命感が生まれてしまった」
こうして執筆された本書では、日本人がどのようにTシャツを着てきたか、洋装が始まった明治以降の150年を、小説や映画、漫画やファッション雑誌等をつぶさに読み込み分析していく。もとは下着だったがやがて運動服に。小津安二郎の映画では応援団の白いTシャツが眩しく描かれ、バンカラな男子学生たちは学生服の下にTシャツを着た。
「戦前の小説からTシャツを見つけ出すのは大変でした。『メリヤス』や『運動着』という言葉で登場しますし、まず描写されないんです」
芥川賞を受賞した青春小説にTシャツという言葉が登場するのは1976年。80年代になるとブランド志向の若者がTシャツを着なくなる一方で、矢沢永吉を真似した不良がTシャツの裾をイン。そして、80年代の終わりに渋カジ族の若者が裾を外へ出し、数年かけて裾出しが定着。『幽☆遊☆白書』の浦飯幽助も『SLAM DUNK』の桜木花道も、連載開始時は入れていた裾を、あるタイミングで初めて出す――その変遷を丹念に辿って見えてくるのは、流行を生む若者たちの姿だ。
「先輩世代がダサいと思っているファッションをハッキングすることで、新しい文脈を生み出す。これは逆張りの歴史なんです」
だが、流行はすぐにメディアにとりこまれる。やがて裾を出すほうが主流となり、オタク男性が主人公の『電車男』が映像化される頃には、裾を入れるのはアキバ系のオタクファッションと笑われるようになった。
「俳優の菅田将暉さんが火付け役となって、今はタックインが流行しています。でも、90年代から2000年代に青春を過ごした我々の世代には『電車男』の残像が強すぎて、未だにタックインに抵抗を感じてしまいます」
Tシャツの裾をめぐる変化はあまりに目まぐるしい。ここで触れたのは本書に登場する流れのほんの一部だ。
「もう150年、同調圧力の波に振り回されてきたけど、もうやめようよ、と言いたいんです。私もそうですが、特に思春期の時期ってファッションで悩んだり傷ついたりすることがありますよね。そういう、流行との距離の取り方に迷っている人にこそ、ぜひ読んでもらいたい。きっと流行が止まって見えるようになるはずです」
たかはたくわな/1984年東京都生まれ。2004年、映画『紀子の食卓』に衣装助手として参加。14年、早稲田大学文学学術院の表象・メディア論コース修了。21年、個展「1991年の若者たちがタックアウトしたTシャツを2021年の君たちは」を開催。撮影ではTシャツの裾をインして、「これはビジネスタックインです(笑)」。

