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「私には絶対に無理だ」白人モデルの起用が当たり前だったが…市川実和子をモデルに起用した雑誌編集者の“感覚”

著者は語る 『わたしと『花椿』 雑誌編集から見えてくる90年代』(林央子 著)

2023/04/29
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『わたしと『花椿』 雑誌編集から見えてくる90年代』(林央子 著)DU BOOKS

〈すぐれた、根気強い庭師であり、耕し育てる人だ。つまり、世界中のアーティストやデザイナー、あらゆるつくり手たちのアーキビストである〉

『カモン カモン』などの作品で知られる映画監督のマイク・ミルズがそう称するのは、編集者の林央子さん。資生堂に1988年に入社し、2001年に退社するまで企業文化誌「花椿」編集部に在籍。現在は個人雑誌「here and there」刊行をライフワークに、アートやファッションの紹介者として国内外のクリエイターから信頼を得ている。

『わたしと『花椿』 雑誌編集から見えてくる90年代』は、そんな林さんが90年代から現在までを振り返ったエッセイだ。37年創刊の月刊誌「花椿」は、80年代からは「ビジュアルエンターテイメント」という編集方針のもと、先鋭的なカルチャー誌として存在感を放っていた。

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「女性のためのメディアという意識が強いなかで作っていましたが、性別を超えて一つのクリエイションの場たり得ていたとも思います。またデザインを志す人にとって、憧れの最高峰は仲條正義さんがアートディレクターを務める『花椿』という面もありましたね」

 本書では写真家のヒロミックスさんや都築響一さんなど、さまざまなクリエイターとの交流が綴られている。本書の執筆は難しい仕事でもあったという。

「たとえ私にとって美しい思い出であっても、当事者にとっては振り返りたくない思い出かもしれない。なるべく自分の現在に引き付けて書くしかないな、と」

 当時の編集部にはパリ・モードの世界こそが美しいという認識があり、写真では白人モデルの起用が当たり前だった。そんななか林さんは上司を説得し、市川実和子をモデルに起用し、モッズなどのストリートカルチャーを取り上げた。

「大きなことを思っていたわけではなくて、それぞれのページでやらなくてはいけないことを考えながら、“私には、これはできない”に自覚的だったかもしれません。長年の伝統を受け継いだ編集長や先輩がさばくファッションページを、眩しい憧れを持って見ながら、私には絶対に無理だと感じて。じゃあ無理なりに、私自身が興味と共感を持っていて、できることをやろうと思ったんです」

 アメリカのユースカルチャーに強い関心を持っていた林さん。94年にブランド「X-girl」を立ち上げたキム・ゴードンや、それに関わっていた映画監督デビュー前のソフィア・コッポラやマイク・ミルズらと交流し、97年2月号で「花椿」初となるニューヨーク特集「ニューヨークのニューな部分」を手がけた。

林央子さん 撮影/若木信吾

「自分の生活にあまり関係がないモードの世界とは違い、ユースカルチャーから生まれたファッションは、自分が買えて、着られるというリアリティーがありました。ファッションの分野でアート性が高いものを制作したり発表したりしている人たちが現れていて、そうした変化こそ、その時代において切実なことであると感じられたんです」

 しかし、そうした新しいクリエイターたちはアートの歴史の外にあるものとされてきた。

「私が共感した人たちは、変革の当事者だったと思っています。そして、私は実践する人ではなく、実践する人を伝えていく人。

 私は雑誌が文化だと信じていたし、文化は歴史でもあるはず。私がやってきた活動は、彼らの歴史を書くことであると思っていて。今回こうして一冊にまとめることができて、本当によかったです」

はやしなかこ/編集者。ICU卒業後、1988年に資生堂入社、「花椿」編集室に所属。2001年の退社後は雑誌などに執筆し、02年に『here and there』を創刊。著書に『拡張するファッション』『つくる理由』など。「拡張するファッション」展といった出版物に端を発した展覧会の創出にも携わる。20~21年にロンドンCentral Saint Martins修士課程でExhibition Studiesを学ぶ。

「私には絶対に無理だ」白人モデルの起用が当たり前だったが…市川実和子をモデルに起用した雑誌編集者の“感覚”

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