「生死の境を彷徨(さまよ)ったことで、今まで取材した方々に共感を寄せたつもりでも、安全なところから書いていたのだなと気付いたんです」
ノンフィクション作家の河合香織さんは『母は死ねない』を書き始めた頃をそう振り返る。執筆のきっかけは37歳で出産したとき。48時間に及ぶ難産の末、感染症に罹った。医師も言葉を濁すほど重篤な状態だった。
「死ぬかもしれない、もうあの子に会えないかもしれない……。そんな絶望の中で思い出したのが、以前、法廷で出会った、息子を殺された母親の『母は死ねない』という言葉でした」
彼女は、息子と犯人の女性が同棲していた殺害現場の団地に行き、固まっていた血溜まりを拭いたという。
「その時は何もそこまでしなくてもと思っていました。けれど自らの死と向き合ってはじめて、彼女の思いも、言葉の意味も、何ひとつ理解できていなかったことに気付かされました」
河合さんは出産の1カ月後に退院し、わが子との再会を喜んだが、「母」として生きることに恐れを抱いた。わが子の血を拭くほどの覚悟を持たねばならない「母」とはなにか。母となった知人や友人たちの声に耳を澄ます取材を始めた。
不妊治療の末に授かったわが子に重篤な疾患があって死産した女性は、夫から提案されて生後1カ月の里子を迎えた。女性がその子と特別養子縁組をすることになったと話すと、彼女の母は「誰も幸せにしない」と泣いて反対し、その後、着の身着のまま家を出た。
「実はお母さん自身が養子だったのですが、70歳を超えるまで娘に明かすことができなかった。女性は『私はもう娘じゃなくて、母親なんだよ。だから家族をもう卒業しよう』と告げ、母をかくあるべき家族像から解放した。家族は愛情を持たねばならないという規範に囚われると苦しい。家族は必ずしも分かり合えなくてもいいと教えられました」
出産も、子育ても、人生でさえも、自分の思い通りにはならないのだという想いは、様々な母親に取材することで強くなっていった。
「人生には様々な不条理があることや、子どもを思い通りにいかない他者だと受け入れ、互いの人生を尊重することから始める。ここに立ち返ることで、世間が押し付ける母や子といった役割から自由になれるのではないでしょうか」
本書では、夫や父としての男性の存在は希薄だ。
「現代は、不妊治療やAID(非配偶者間人工授精)、養子縁組など、子を持つための選択肢が増え、また出生前診断で障害や病気を持った子を生まないこともできます。選択肢が増えたぶん、女性が責任を負い、重大な選択をしなければならなくなった。パートナーとして一緒に話し合える男性もいますが、当事者意識を持つことのできない男性もいる。男性にも反論はあるでしょう。ここから対話が始まるはずです」
母親たちにはつらい経験も多かったが、その生きようとする力で前向きになり、河合さんは思い込みが解消され視野が広がった。
「人のことを安易にわかったと言えなくなりました。だからこそもっと知りたい。その人自身も知らない言葉を聴いていきたいですね」
かわいかおり/1974年生まれ。ノンフィクション作家。2009年『ウスケボーイズ』で小学館ノンフィクション大賞、19年『選べなかった命』で大宅賞、新潮ドキュメント賞を受賞。著書に『セックスボランティア』『帰りたくない』『絶望に効くブックカフェ』『分水嶺』など。