復籍とはいうものの、過去に小泉家の籍に入っていたのは、生まれてわずか8日間にすぎなかったのだが。

しかし、運命とはおもしろいもので、まさにセツが離縁し復籍した同じ年の8月30日、ギリシアで生まれアイルランドで育ったラフカディオ・ハーンがアメリカから来日し、英語教師になるために松江にやってきたのである。

ハーンは宍道湖と中海をつなぐ大橋川に面した富田旅館に2カ月半ほど滞在したのち、11月中ごろ、宍道湖畔の借家に住まいを移した。そして、翌明治24年(1891)2月初旬ころ、セツはその借家に住み込みで働くようになり、2人は出会ったものと思われる。

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幼少期に出会った「唐人」という因縁

この当時、多くの日本女性は白人男性を受け入れるのに抵抗があったと思われる。だが、セツは違った。その理由について、セツ自身が「幼少の頃の思い出」に、おもしろいエピソードを記している。

「多分五つ六つ位であった様に思われるが其頃ワレットといふ唐人(仏人であったそう)が来て調練という事が始まったある日、私は親類の人々と一緒にその調練と唐人を見に行った。(中略)その時にその唐人が何だか言って笑って私の髪を撫でた。私はやはり唐人の顔を見ていた。そうすると大きなその人の手が私の手に来て何だか持たせた」

「(中略)私のもらったのは小さい虫眼鏡であった。私はその虫眼鏡は日本にはない非常に良いものだという事をお父さんやお母さんが話合った。(中略)私はその眼鏡を喜びまたその眼鏡を呉れた唐人は非常に良い人だと思った。ワレットは出雲に来た初めての異国人であったであろう。其人から小さい私は特に見出されて進物を受け、私が西洋人に対して深い厚意を持つ因縁に成ったのは不思議であったと今も思われる」

そして、こう続くのだ。

「私が若しもワレットから小サイ虫眼鏡をもらってゐ無かったら後年ラフカヂオヘルンと夫婦に成る事も或ハむづかしかったかも知れぬ」

セツ自身も「因縁」という言葉を使うが、まさに「因縁」ということを思うほかない出会いであったと思われる。

香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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