ラブシーンを丁寧に、濃密に描く理由
今もキスする度に私を撫でている綸の腕に鳥肌が浮き立ってくるのが分かる。息を潜めてぴくりとも動かない綸は、私の獲物みたいだ。(『激しく煌めく短い命』より)
綸の首筋を鍵盤にして、ピアノを弾くように唇を乗せる。ドレミファソ、のファのところ。首の付け根、肩との境界線。(同前)
恋愛小説である本作には、ラブシーンもしばしば登場する。その性愛描写の濃密さや美しさも、大きな読みどころとなっている。
「そこはしっかり丁寧に書いていこうと決めていました。惹かれ合っていく久乃と綸のふたりがそろって登場する場面では、初対面のときからずっと、それぞれの身体が何らかのかたちで触れ合うようにしてあります。友だちや知り合いから恋人へと関係が移るとき、その見えない枠を人はどう飛び越えていくのか。そのためには、触れ合うことで安心したり幸せな気持ちになるというのが、大事なところなんじゃないかと思いました。
このふたりにとっては無邪気な触れ合いを重ねることが、おたがいの心をノックすることにもなり、相手を好きという気持ちが自然に芽生えていく原動力になるはず、そう思いながら書きました。
そのうえで、いわゆる『濡れ場』の描写は、触れ合うことの延長線上というか終着点というか、関係を深めていったふたりのあいだに起こる最果ての出来事として、真剣に取り組みました。ラブシーンだけぼかした表現にしたり、ちゃんと描写しないまま行為がいつのまにか終わっていたりするというのは、絶対にしたくなかった。
度が過ぎるとこれまた嘘っぽくなってしまいますが、私は自分が読者のときもけっこう過激な描写が好きなので、書き過ぎかな? というくらいにしておいてちょうどいいのだと考えるようにしていました」
人物の勢いや文章のエネルギーを大事にしたい
この光景を、一生覚えておきたい。私たちはカウンターの下で手を繋ぎながら、熱い牛肉の串カツをはふはふしながら食べた。(『激しく煌めく短い命』より)
性愛描写にかぎらず、小説内で使われる文章や言葉の一つひとつが、丹念に磨き上げられていると感じさせるのが、長らく変わらぬ綿矢作品の特質だ。
「小説内の言葉へのこだわりは、自分としては以前のほうが強かった気はしています。この文章にこの単語はおかしいとか、この漢字は合わないとかっていうのを、すごく重視していましたけど、単語単位のような部分への執着はだんだん薄れてきました。
代わりに、語っている登場人物の勢いや、文章自体に宿るエネルギーみたいなもののほうを大事にしたい気持ちがまさってきています。それは自分の中では大きい変化で、だからこそ今回のような長い作品も書けるようになったのかもしれない」


