10月2日、シンシナティ・レッズとのワイルドカード第2戦の9回に登板し、2奪三振の好投を見せたドジャース・佐々木朗希。チームのディビジョン・シリーズ進出に“クローザー”として貢献した。最高の舞台のマウンドに上がるまで、ケガによる離脱とリハビリ調整で苦しんだメジャー1年目。節目節目で独占インタビューに応じてきた「週刊文春」の記事より、本人の言葉でその足跡を振り返る。

開幕戦は「いい緊張感で投げられた」

「今までの開幕とはまた違った緊張感でした。日本にいたときは、これで打たれたらどうしよう、とかネガティブな緊張感が大きかったんですが、今回は違った。国際大会のような、いい緊張感の中で投げられました」(「週刊文春 電子版」2025年3月26日配信

 3月19日、メジャー1年目にして東京ドームでの開幕カードで初先発。緊張していたかを問われると、本人の口から飛び出したのは、日本との違いだった。

 日本時代を「ネガティブな緊張感が大きかった」と表現した佐々木。振り返れば、プロ入りが注目された大船渡高校時代、3年夏の岩手県大会決勝で登板しなかったことが大きな話題に。その後ドラフト会議では4球団競合でロッテに入団。160km超を投じる右腕にはプロ入り後も注目が集まり続けた。その重圧から解放してくれた空間こそ、WBCなどの国際大会やメジャーリーグのマウンドだった。

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ナ・リーグのワイルドカードシリーズ第2戦の最終回に登板した佐々木 ©時事通信社

先輩に頼らず「自分で解決していくしかない」

「今自分が直面しているピッチングに関する問題は、ドジャースに来たから生じたものではなくて、日本にいても、同じように悩み、苦しんでいたと思う。そこをお二人に頼ってもしょうがない。自分で解決していくしかないので」(「週刊文春 電子版」2025年4月24日配信