長い年月にわたる、ふたりの女性の激しくも純粋な愛のかたち――。
ともに女性同士の関係性を描いた大作長編を発表した、綿矢りささんと一穂ミチさん。
各々の作品のことから創作の話まで、初めての対談をお送りします。(全3回)
作家の文章が生れるとき
綿矢: 一穂さんの文章は比喩がすごく面白いですよね。私が特に好きなのが、第一章にある「私は自分のことを、スーパーのお菓子コーナーにある詰め放題の袋みたいに感じていた。ママはそこに自分が選んだものをぱんぱんに詰め込む。チャックの口さえ閉まれば、ぎちぎちのでこぼこではち切れそうになっても構わない」という部分。柔らかい言葉で特別なことを表現する比喩が、『光のとこにいてね』にはたくさんあって素敵でした。比喩について気をつけていることはありますか?
一穂: やっぱり「~のようだ」や「~のように」が続くのは気になりますよね。でも、他の作家さんの小説で出てきても気にならなかったりするので、そこまで気にしなくてもいいのかも……。綿矢さんの小説には、思わずハッとするような感情の切り取りや美しい描写がたくさんありますけど、そういった文章はどういったときに思いつくんですか?
綿矢: 実際に文章を書いているときに流れで思いつくことが多いですね。喋るときと書くときでは、脳の違う部分を使っている感覚がしていて、文字を見つめていると面白い言葉の並びが浮かんだりします。一穂さんはどうですか?
一穂: もちろん「綺麗な文章を書くぞ!」とかは思っていなくて、「意味が通じて読みやすければOK」という感じでやっています。ただ街なかで見かけた光景から浮かんだ言葉を「これは何かに使えるかも」とメモしておくことはありますね。
綿矢: 私もスマホのメモ帳に書いたりするんですけど、後から見返すと何のことか分からなくて。「もうちょっと詳しく書いてくれたら思い出せたのに!」っていうくらい雑です(笑)。
一穂: そのときは覚えているつもりなんですけどね。あんなに鮮明に感じたことなのに、私もびっくりするくらい忘れます(笑)。
