ものまね芸人として「千鳥の鬼レンチャン」(フジテレビ系)をはじめ、様々な舞台で活躍する坂本冬休みさん。レパートリーは50を超えるが、代名詞となるのは、その名が示す通り歌手・坂本冬美さんのものまねである。ステージが始まれば、圧倒的歌唱力と絶妙なトーク力、こだわりの衣装とカツラで客を魅了する。

 しかし、その人生は順風満帆とは言い難い。原因不明の病に悩まされた20代を経て、再起をかけて30歳で芸の道に飛び込むが、下積み時代のつらく険しい経験に心が折れかけたこともあったという。それでも尚、ものまね芸人であり続ける理由とは――。ライターの我妻弘崇氏が詳しく話を伺った。

坂本冬休みさん

「人を笑顔にしたい」3歳で芽生えた信念

 冬休みさんの幼少期の記憶に父親の姿はない。母やおじ・おばと暮らしていたが、家族団らんのあまりない家庭だった。そんな寂しさもあってか、学校で生意気な態度をとって、いじめられることもあったという。一方で「ものまねをして周囲を笑わせたい」という気持ちは幼い頃からすでに芽生えていた。

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「おばが言うには、『あんた3歳のときから私のモノマネをしてたよ』って。人の特徴が気になるみたいで、保育園の先生のものまねもやっていたみたいです。真似ると周りが明るくなることが分かったから、小中学校時代には意識的にものまねをするようになって」

 成人してからも「人を笑顔にしたい」という想いは変わらなかった。テーマパーク、そして結婚式場で働くが、20代半ばにして思いがけない苦境に立たされることになる。原因不明のめまいが頻繁に起こるようになり、ついに寝たきりになってしまったのだ。29歳の時に病は緩解するが、キャリアの空白は消すことができない。冬休みさんは自身の進む道を見つめなおすことになる。

「30歳じゃないですか。同世代は、みんなそれなりに人生を歩んできているけど、私は『どうするんだろう』って。緩解後のあるとき、友人からものまねのオーディションがあるということを教えてもらって、「モノマネが得意なんだから受けてみたら」って言われて。フジテレビのものまね番組の素人枠として、テレビに出られるかもしれない……」

 

忘れもしない“下積み時代の悲劇”

 なんと冬休みさんは、そのオーディションでセクシー男優・加藤鷹さんのものまねを披露。最後の3人にまで残り、松居直美さんのものまねでテレビ出演も果たした。それから、全国のキャバクラやスナックをドサ回りする下積み時代がスタート。「お客さんが笑ってくれるのが楽しい」。その一心で全力でステージを続けていたが、ある日の営業中、悲劇が起こる。

「飛び込み営業だから楽屋なんてない。それで、らせん階段の踊り場でクレヨンしんちゃんの格好に着替えていたんです。水滴が頭に落ちてきたから、『雨かな』って上を見上げたら、上の階の踊り場で酔っ払いがおしっこをしていた。その人は、下に私がいるなんて思ってないから、気持ちよくおしっこをしている。12月15日でした。忘れもしない」

 この出来事をきっかけに、冬休みさんは一度芸能活動を休止。その後は児童養護施設に住み込みで働いていたが、施設長に依頼されて提携先の老人ホームで再びものまねを披露することになる。挫けかけていた冬休みさんの心を救ったのは、美空ひばりさんの「川の流れのように」を歌った際に見た、おじいさんの驚くべき反応だった。

「そのおじいちゃん、目が見えなくなっていて、手も動かなくなっていたらしいんです。だけど、ちょっとずつ手が開いて、最後は私の手をぐっと握ったんです。その握った手を、自分の股間にあてるんですよ。びっくりして、みんな泣き笑いです。職員さんたちもすごい感動してくれました。ものまねの力はすごいって確信しました。やっぱり私はこれをやりたいって。生まれ変わったつもりで、ものまねと向き合うようになりました」

 それから、おじいさんおばあさんに「好き」だと言われた坂本冬美さんのものまねを掲げ、ボランティアとしてさらに様々な場所へ出向いた。東日本大震災の際も50か所以上の避難所をめぐり、つらい境遇にあった被災者を元気づけるため、全身を使ってパフォーマンスを行ったという。「ご本人様」である坂本冬美さんに、最初に会う機会があったのは、その頃だ。

“ご本人”坂本冬美からかけられた言葉と贈り物

「実際にお会いできたときには『あら、私と同じ着物ね』『本気でわたしの物真似してくれてるのね』って。『全国あちこち行かれてるのを聞いてます。とても盛り上がってるそうね。これからもわたしが行けないところに、行ってちょうだいね』と言ってくださって。後日素晴らしいお着物もいただきました」

本人提供

 現在は、坂本冬美本人から譲り受けた煌びやかな着物に身を包み、ものまね芸人として全国各地で営業を続ける傍ら「ものまねの技術が教育に役立つことを伝えたい」と講演活動も行っている。自らの半生をまとめた著書も執筆中だ。「人を笑顔にしたい」。子どもの頃から変わらない信念に突き動かされ続ける冬休みさんに、改めて坂本冬美さんへの想いについて聞くと、こう語ってくれた。

「ご本人がいないところで魅力を届けていくのがものまね芸人の役割だと思っています。ご本人様から高価な衣装をいただけるということは、本当にすごいことなんです。冬美さんの人間力の深さに感謝の気持ちでいっぱいです」

写真=石川啓次/文藝春秋

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 坂本冬休みさんが語る、下積み時代のさらなる苦難、老人ホームで目の当たりにしたものまねの力、コロッケさんとの信頼関係など、さらに詳しいインタビューの全文は、

#1『暴走族“ブラックエンペラー”に所属→現在は“モノマネ芸人”に…「総長のモノマネしたら『お前、すげえな』って…」坂本冬休みが語る、10代の自分が気に入られたワケ
#2『「借金1000万まで膨らんだ」20代で“原因不明のめまい”を発症→寝たきり状態に…ものまね芸人・坂本冬休みが語る、絶望寸前の“闘病生活”
#3『「『雨かな』って見上げたら酔っ払いのおしっこで…」10代で暴走族に→30代でモノマネ芸人になった坂本冬休みの“壮絶すぎる下積み時代”
#4『「小児病棟でネタをした後、サンタクロースの衣装に着替えて…」ものまね芸人・坂本冬休みがボランティア先で見た、師匠と仰ぐコロッケの“人間力”

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