坂本冬美公認ものまねタレント・坂本冬休み。ステージが始まれば、坂本冬美本人から譲り受けた華やかな着物を着こなし、圧倒的歌唱力と絶妙なトーク力、こだわりの衣装とカツラで魅了する。だが、その半生は筆舌に尽くし難い。

 ものまねで生きていくことを諦めたはずだった。だが、「児童養護施設」「老人ホーム」のボランティアを経て、再び火が灯った。東日本大震災が起きたときも、被災地でボランティアショーを行い、ものまねをし続けた。

 坂本冬美との邂逅、師と仰ぐコロッケとの交流。ものまねタレントの域を超え、全身全霊でパフォーマンスするその姿は、正真正銘、ものまね‟芸人”だ。(全4回の4回目/最初から読む

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ものまね芸人・坂本冬休みさんと、師匠と仰ぐコロッケさん 本人提供

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「勉強させてもらいたい」一心で200軒回ったボランティア

――モノマネで動かなかったおじいちゃんの手が動いたという経験後も、冬休みさんはさまざまな場所でものまねを披露されていたのですか?

坂本冬休みさん(以下、冬休み) 自分で電話をして、ボランティアでやっていました。200軒くらい回りましたけど、私の気持ちは「勉強させてもらいたい」だけだった。おしっこをかけられて、私は芸人として腐ったでしょ。腐ったけど、人間として腐りたくないから、もう一回立ち直りたいと思ったんだよね。勉強させてもらえたらそれでいい。だから、無料でいいし、文句を言われてもいい。「こんなことしなきゃ食べていけないんですか」とか「売名行為ですか」とか散々言われたけど、ただただ学びたい。何でもいいから教えてくださいって。実際、そういう方々から教わることって、ホントに多かったから。

©石川啓次/文藝春秋

――現在の芸名である「坂本冬休み」は、そのときからなのですか?

冬休み 200軒回っているときは、美空ひばりさんの名前をもじって「曇り空ひばり」、越路吹雪をもじって「越路猛吹雪」とかいろいろ変えながらやっていたんですけど、おじいちゃんやおばあちゃんと話をすると、冬美さんを歌ってる私が好きだって声が多くて。そのときに、「坂本冬休み」って名前が降ってきたの。「これだ!」と思ったから、そこからはこの芸名で一本化。私はずっとボランティアでショーをやっていたから、東日本大震災が発生したときも行きました。

――被災地を回ったのですか?