ものまね芸人・坂本冬休み。「歌まね」「しゃべりマネ」のレパートリーは50を超え、代名詞はその名が示すように、本人公認の坂本冬美のものまねである。
ステージが始まれば、坂本冬美本人から譲り受けた華やかな着物を着こなし、圧倒的歌唱力と絶妙なトーク力、こだわりの衣装とカツラで魅了する。だが、半生は筆舌に尽くし難い。
学生時代は暴走族「ブラックエンペラー」のメンバーに。20代半ばには原因不明のめまい症状に襲われほぼ寝たきりになった。再起をかけてものまねの世界に飛び込むも五里霧中……。
自身の原点だと話す10代。当時を振り返ってもらった。(全4回の1回目/続きを読む)
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「私のお父さんは?」って言ったら「知らねぇよ」って
――『千鳥の鬼レンチャン』、千原ジュニアさんのYouTubeチャンネルで明かされていたように、冬休みさんは壮絶な半生を送っています。まず、幼少期から伺いたいのですが、生まれは千葉県なんですよね?
坂本冬休みさん(以下、冬休み) 千葉県千葉市ですね。お母さんが言うには、逆子だったみたいで、足が飛び出ていたらしく、帝王切開で生まれました(笑)。生まれてすぐに、両親が離婚したので、お父さんの記憶はないんですよ。ただ、我が家は、お母さんの兄や妹も一緒に暮らしていたので、私は叔父のことをお父さんだと思っていたんですよね。だけど、授業参観のときにその叔父が来なかったから、帰宅した後、お母さんに「私のお父さんは?」って言ったら、「知らねぇよ」って一言だけ言われて。後にも先にもそれでお父さんの話は終わり。
――親戚の方と一緒に暮らしていたということは、一軒家で暮らしていたのですか?
冬休み 借家の一軒家に住んでいました。材木屋を営んでいたので、親戚含めて家族みんなで暮らしていた。でも、みんなで一緒にご飯を食べたことがないんですよ。それぞれ、好きなタイミングで食べるみたいな。出前を取って、みんなで食べるみたいなこともなくバラバラ。家族がいても、変な孤独感があって、団らんという言葉とは無縁でした。小学校のときに、友だちからは、「加藤の家はちょっとおかしい」って言われてましたね。加藤って私の本名なんだけどね。
――皆さん、経済的には自立されていた?
冬休み うん。お金持ちではないけど、貧しくはない。ただ、変わっていた(笑)。材木屋だったから、家に金鳥稲荷様とか馬頭稲荷様とか明神様とか38個も神棚があって、うちのおばがお供え物をするんですけど、私たちはそのご飯を食べるんですよ。朝にあげたものを夕方にさげてきて、それを私たちが食べる。カッチカチのご飯にお茶をかけて、「いただきます!」って。ヤバくないですか!?

