3歳から保育園の先生のモノマネをしていた
――良いように解釈すると、神様のおさがりをいただくと。冬休みさんは、子どもの頃の夢って何だったのですか?
冬休み 看護師さんとかには、ちょっとあこがれを持っていました。人を助けるという意味で。子どもの頃は、ものまね芸人になるなんて夢にも思っていませんでしたけど、おばが言うには、「あんた3歳のときから私のモノマネをしてたよ」って。人の特徴が気になるみたいで、保育園の先生のものまねもやっていたみたいです。真似ると周りが明るくなることが分かったから、小中学校時代には意識的にものまねをするようになって。半面、私はすごい生意気だったんですよ。
お父さんがいないっていう話とちょっとつながるんですけど、自分の潜在意識の中で、かまってほしい、怒ってほしいみたいなのがあったんでしょうね。割といたずらっ子で、人にちょっかいを出したり、意地悪をしてみたり、何か尖っている部分があった。そのせいで、「あいつなんなんだ」っていじめられるようになって。
――「加藤はピーキーすぎる」じゃないけど、煙たがられるというか。
下駄箱を開けたら「うわ、納豆かよ」って
冬休み 下駄箱を開けたら、上履きの中に納豆が入っていたことがあったんですよ。画鋲はよくあったんですけど、「うわ、納豆かよ」って。おそらく、仕掛けた側はどこかで見ているわけじゃないですか。私が泣くところを見たいわけ。だけど、それだと悔しいから、泣きたいのをグッとこらえて、素手ですくい上げるようにして納豆を食ってやりました。
私たちの時代って、まだヤンキー文化がバリバリに残っていて、先輩に挨拶しなかったら、「なんだこの野郎」みたいな感じになるのが当たり前だった。私が通っていた中学校は、頭を下げて挨拶しないと一日中睨まれて、呼び出しを食らう。卒業式のときも、校門のところに「卒業式」ってでかでかと書いてある立て看板があるじゃないですか。あの裏に、呼び出される人の名前が書いてあって、私の名前も見事に書いてあった(笑)。
――嫌すぎる選抜メンバーです(笑)。
冬休み 思い当たる節は、たくさんあるんです。睨んできた先輩を、あえて追いかけて、先輩が振り向いたら逃げるみたいな小ばかにするようなことをしていたから。変に‟負けたくない”って思っていたんですよ。だから、納豆も食ってやった。でも、その負けん気って今の仕事につながっているところがあって、盛り上がらないお客さんを、盛り上げるときの底力に近いものがある。説明のつかないエネルギーというか、私のマンパワーの根本はそういうところにあるんだと思う。

