暴走族時代も「ものまねが身を助けた」
――ロストテクノロジーです(笑)。ですが、一員である以上、抗争に巻き込まれたりすることはなかったのですか?
冬休み 本来は巻き込まれると思うんだけど、私は応援団だったからなのか、あまり巻き込まれはしなかった。そんな特異なポジションなのに、迎え入れてくれたんだから不思議な世界だったなって思います。あと、総長とか偉い人のしゃべりものまねもできたから、それをすると仲間意識も深まったし、「お前、すげぇな」とか言われたり。
――バイクの二人乗りよりも、そっちの方が曲芸ですよ。
冬休み やっぱりそこでも、ものまねが身を助けたんだよね。だから、結構いろんな話を聞いた。それこそ本気で暴走族をやっている人は、親に殺されかけたとか悲惨な体験をしているんですよね。いつ死んでもいいと思っている人もいるから、単車でバーッて突っ走っている。歯が全部ない人とかもいっぱいいる。私は死にたくないし、世間にそこまで恨みつらみはない。このままここに居続けたら、どこかで人生が大変なことになるような気がして、高校3年生のときに辞めたんです。
辞めるときも、不思議と「やめちゃうんだ」って言われたくらいで、儀式的なものはなかったです。今でもそうですけど、私は切り替えがすごく早くて、嫌だなって思ったらやめちゃうんですよ。
――それで、某有名テーマパーク内にあるレストランでバイトするようになったわけですか?
冬休み うん。ただ、高校を卒業するには単位が足りなくて、本当だったら留年していた。もう亡くなっちゃった先生ですけど、数学の先生が「お前、卒業したいか」って聞くから、「したいです」って答えたんです。「焼却炉の掃除と自転車置き場の掃除をしろ」って言われて、それを何ヶ月かやったら卒業させてくれたんです。それで、某有名テーマパークへ面接に行った。自分が遊びに行っていたとき、ものすごく夢の国に思えたから。やっぱりそういう、家庭にはなかったものを求めていたんだと思う。
当時は、夜の世界にいたから、みんな日の目を見るのが好きじゃない。私を含めて、笑顔があんまり上手に作れない人ばっかりで(笑)。でも、テーマパークへ遊びに行くと、自然と笑顔になれるんですよ。チンピラみたいなパンチパーマのおじさんも遊びに来ると、自然とキャラクターのカチューシャとか付けちゃうじゃないですか。みんなが笑顔になる場所ってすごいなって。「ここで働きたい」と思って、面接に行ったんです。
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