「他者に厳しく、自分に甘い」
誠の友人は「他者に厳しく、自分に甘い」ところがあると言っていた。彼によると高校時代のヴィジュアルはマッチこと、近藤真彦に似ていて、25歳ごろの社会人時代はロックバンド『HOUND DOG』のボーカル・大友康平のようだったという。きっと女性からも人気はあっただろう。
中学、高校と勉強しなかったが、成績はそれほど悪くはなかった。
数学と英語はやる意味がわからないので勉強しなかった。「日本人には英語は必要ない」「サイン、コサインは生活に関係ない上に、数学教師の性格が悪い」と切って捨てた。国語、社会は得意だった。
周りの生徒は停学、退学処分があったが、要領がいい誠は謹慎などにひっかからなかった。それには裏がある。
「漁師町なので、担任の先生や校長先生に親たちが鯛を持っていくんです。『先生、退学になるようなことがあったらウチの子の人生が台無しなんで……』と、先生に半分おどしをかけるようにお願いをするんですね」
袖の下が鯛とは豪勢な話である。
「あんたは、芸人のよしもとに行くか、料理学校に行くか、どっちかや」
誠が通う高校は野球で有名だったため、他県から来る生徒のための寮があった。誠は自宅から通学していたが、寮が楽しすぎて家に帰らなくなっていた。そこでは、毎晩、飲酒、喫煙、麻雀が行われていた。
学校ではおもしろおかしく場を盛り上げる生徒だった。「あんたは、芸人のよしもとに行くか、料理学校に行くか、どっちかや」と親に言われるほどだった。
このように篠田誠はわりとやんちゃな青春を謳歌していた。
本人も性格を形成した時代を振り返り、その後の傷害事件のことを思う。
「高校時代から悪ふざけは好きやけど、本当にアカンことはやらんかった。けど東京では、見ないふりをすることを覚えさせられて『それは違う』という違和感があった……」
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