のどかで気安い雰囲気の中華料理店と、そこで出されるようなまろやかな味わいのチャーハンやラーメンが「町中華」と呼ばれるようになって何年も経つ。膨大な資料を駆使して書かれたこの本をめくっていくと、それらの「定番の中華料理に映り込んでいる帝国日本の残影」がくっきりと見えてくる。「町中華」の隆盛は、日本が大陸を支配していた時代へのノスタルジアも加味されてのことだったと、わかる。
なかでも餃子は象徴的な存在だ。1938(昭和13)年の雑誌『主婦の友』では「満洲料理ギョーザ」として紹介されていた。1932(昭和7)年に傀儡国家としての満洲国が成立して以降、その土地らしい料理として愛食されるようになったのだった。かつて大陸で時間を過ごした人が彼の地へ抱く慕情は、焼き立ての餃子のあたたかみとイコールとなる。
今では北海道の郷土料理として知られる成吉思汗(ジンギスカン)も「満洲国の名物料理」だった。そもそもは、1910年頃、北京の料理店にて、日本人らが「烤羊肉(カオヤンロウ=羊肉のあぶり焼き)」を、ジンギスカン、との異名で呼んだところに端を発する。
「日本の陸軍は、チンギス・ハンのユーラシア大陸遠征と日本軍の中国侵攻を重ね合わせて見ていた。ジンギスカン料理は、日本軍による大陸侵攻を鼓舞する宣伝に利用された」
戦後、ジンギスカンが餃子とはまた別の道を辿ったのは、第2次世界大戦前から国策としてはじめられた羊毛増産のための牧羊が北海道では途切れず続けられていたことと、土地そのものがまとっていた異国情緒が相まってのこと。とはいえ、1960年代以降、ジンギスカン用の羊肉はほとんど輸入でまかなわれているのも事実である。その土地らしさとはなんだろう、と、問いたくなる。
ウーロン茶にもまた、帝国主義の影がさしていた。1895(明治28)年から日本が植民地としていた台湾の特産物として、都市部で盛んに宣伝された時代があった。1970年代に入り、再び日本に上陸したときにはその過去は忘却され、中国・福建省ならではのお茶として全国に広まっていく。すでに1925(大正14)年には、芥川龍之介が、後輩作家に宛てた手紙の中に「酒のまぬ身のウウロン茶」と記しているというから、後年、居酒屋での定番の飲みものとなったのは必然なのだった。
「町中華」に対し、本場ならではの調味料も勢いよく使われる一皿が「ガチ中華」と呼ばれる場面も、ここ数年のあいだにふえている。その呼称には中国東北地方の料理も含まれる。「かつての『満洲料理』というジャンルが忘れられてい」る証拠である。
著者である岩間一弘さんは『中国料理の世界史』という本もものしている。食はナショナリズムとたやすく結び付きがちなのだと、やはりよくわかる一冊だ。
いわまかずひろ/1972年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学文学部教授。専門は東アジア近現代史、食の文化交流史、中国都市史。2022年、『中国料理の世界史』でサントリー学芸賞〔社会・風俗部門〕を受賞。著書に『上海大衆の誕生と変貌』など、編著書に『中国料理と近現代日本』がある。
きむらゆうこ/1975年、栃木県生まれ。文筆家。著書に『BOOKSのんべえ』『家庭料理の窓』、編著に『昭和 女たちの食随筆』など。
