1999年、8年勤めたフジテレビを退職後、結婚。フランスに移住して26年。パリや南仏を拠点に、ライフスタイルやファッションについての執筆、発信を続けているフリーアナウンサーの中村江里子さん(56)。
先ごろ、イタリア・ミラノに住むことも発表した中村さんに日本での暮らしから現在に至るまでを振り返ってもらった。(全3回の3回目/最初から読む)
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数年前まで「割り勘カップル」でした
――フランスに住んでから、子育てをする一方で、日々の暮らしを伝えるムック『セゾン・ド・エリコ』や、エッセイを出すなど、テレビ以外のメディアのお仕事が多い印象です。
中村 仕事は好きなのでどんな形であれ続けたかったのですが、やはり1人目の出産後、日仏の往復は体力的にも難しくなってきて。そんな中で「江里子さん、エッセイなど書いてみませんか?」とお話をいただき、連載などをスタートしました。
文才があるわけでもなく、でもただただ“書く”ことが好きだっただけ。スケジュール帳やノートに子供の成長や、その日にあったことをちょこちょこと記録していただけの自己満足でしたが、連載がスタートしてからは、担当編集の方に鍛えていただき、自分の言葉で発信することの責任や楽しさをより感じるようになりました。
本や雑誌の出版には本当に多くの方達の目があり、時間をかけて丁寧に作られています。時代の変化の中でオールドメディアと言われもしますが、私はやはり大好きです。この“オールドメディア”に関わっていらっしゃる方々を尊敬していますし、私自身はいつまでも紙の本を読んでいきたいと思っています。
――生活費は夫のバルトさんと「割り勘」でやってきたそうですね。3人の子育ても若干落ち着きつつある頃かと思いますが、いまもそうですか?
中村 結婚前、パリに住み始めた時から数年前まで、割合は徐々に変わっていきましたが、ある意味「割り勘カップル」でした(笑)。私たちは当初から、お金のことを2人の間でクリアにしておくことはとても大切だと思っていました。夫は当初、あまり収入も良くなく、でもそれを隠さずに伝えてくれたので「だったら私も仕事をしているし、ちゃんと半分ずつ出し合おう!」と。2人目の息子が生まれるまでは完全割り勘でした。
私はフランスの会社との仕事ではなく、日本との仕事を継続していました。でも、1人でさらっと日本に行くのと、子供1人、2人、そして3人を連れて行くのとでは全く違います。旅費も大変。日本で仕事をしている間、誰が子供たちのそばにいるの? シッターさんを頼もうとしたら、当時はあまりにも高額でのけ反りました。仕事を続けるのは生活のためだけではなくやっぱり好きだから。だからある時、夫に話をし、割合を変え、その後はたとえばヴァカンスに行く時には夫が旅費を、私がホテル代を出すというような形で分担を変えていきました。

