1999年、8年勤めたフジテレビを退職後、結婚。フランスに移住して26年。パリや南仏を拠点に、ライフスタイルやファッションについての執筆、発信を続けているフリーアナウンサーの中村江里子さん(56)。

 先ごろ、イタリア・ミラノに住むことも発表した中村さんに日本での暮らしから現在に至るまでを振り返ってもらった。(全3回の1回目/続きを読む)

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「毎日ビフテキ食ってんだろ」なんて言われたけれど…

――夫シャルル・エドワード・バルトさんのお仕事の関係で1年間、フランスからイタリアに住むことになったそうですね。海外移住に抵抗がないのは、子どもの頃、タイで暮らしたことが影響していますか。

中村 タイには2歳から6歳まで。バンコクとはいえ、当時はデパートの大丸が、唯一あった近代的な施設。清潔でないところもたくさんあったし、不便でもありました。

 子どもの成長過程において、いろんなことを感じるようになったり、行動できるようになったりする重要な時期だったと思います。そこで育ったから「マイペンライ」=「大丈夫、なんとかなるさ」というタイの象徴的な精神を養えたのかもしれません。フランスへも、頑張って住もう!というより、行ってもいいかなというふわっとした感じで来てしまいました!

結婚する前の中村江里子さん

――ご実家の家業は、銀座3丁目にビルを構える老舗楽器店「十字屋」。とても裕福なご家庭だと思うのですが、日本へ戻った際、カルチャーギャップは感じられませんでしたか。

中村 銀座で商売をやっていますから、住む家はあるし、食べることに困るような生活ではなかったですが、子どもの頃から「うちは商人の家」と言われて育ちました。中小企業の商人は、会社を慕って仕事をしてくれる従業員を守るのが第一で、無駄遣いや贅沢はしない。当時社長だった祖母をはじめ、家族のそうした姿をずっと見てきました。

 クラスメイトからは、「中村ん家って毎日ビフテキ食ってんだろ」なんて言われていて、贅沢をしていると思われていたようですが、私と妹は「うちのハンバーグはいつもイシイなのにね」って。と言っても、若い人にはわからないかしら。

――いえいえ、はっきりわかる世代です! 

中村 よかった! それと「江里ちゃんのお母さんが外車乗ってるの見たよ」とか「ベンツでしょ?」なんてことも。母の愛車は日産のファミリーカー“サニー”でした。子供ながらに人間というのは思い込む生き物なんだと感じたのを覚えています。

夫シャルル・エドワード・バルトさんと中村江里子さん

 なぜかそういうことが日常茶飯事でしたが、祖母や両親は全く気にせずに自分たちのスタイルを貫いていました。時代や周りの環境に流されず、自分たちの経済観念を持って生きていくことがとても大切だと。

 我が家は明治生まれの曾祖母、大正生まれの祖母、昭和の戦前、戦中生まれの両親と私たちきょうだい3人の計7人4世代が、戦前に建てられた隙間風を感じる木造の家に一緒に住んでいました。第2次世界大戦を乗り越えたこの家の庭には、まだ防空壕が残っていました。

 今でも本当に懐かしく思いますし、あの家で家族みんながぎゅっと居間に集まって過ごした時間は宝物のように幸せな時間でした。