母親の母校に憧れて立教女学院から立教大学へ
――中学からはお母さんの母校でもある中高一貫の立教女学院に進み、その後立教大学へ。お祖母さんもお母さんも社長をやられていましたが、家業を継ぐ意志は?
中村 考えたことはありませんでした。3人きょうだいで私は長女、下に妹と弟がいますが、子供の頃に家業について話したこともなく、それぞれが思い思いに興味のある世界で生きていました。
小学生の時に母の母校である立教女学院の文化祭にたまたま遊びに行き、一目惚れをし(笑)、絶対にここに通学したいと、小学5年生の終わりから受験勉強を始めました。大学もあの池袋の校舎に通学したくて、結果的には母と同じ学部学科へ。
でも学生生活は全く大学生らしくない(笑)。毎日、真面目に授業に出て、先輩や友達から頼まれると声色を変えて出欠確認の返事したり、大好きなチョコレートで買収されたりして私のノートが試験前には出回っていましたが……なぜか私の試験結果はCだったりして、要領が悪すぎました(笑)。
「天然記念物」と言われるほど真面目な大学生だった
――当時、立教大学出身のアナウンサーといったら、徳光和夫さんを筆頭に、みのもんたさん、古舘伊知郎さんといった、錚々たる個性派の面々が。
中村 メディアに関心がないわけではなく、どちらかというと書く方に興味を持っていて、新聞社への就職も考えましたが、これはかなり難しいなと早々に諦めました。アナウンサーに憧れたことも全くなかったんです。
大学でも目立つタイプではなく、授業が終わると地下鉄でまっすぐに銀座の両親の仕事場に行き、お茶を飲みながら読書をして、両親の仕事が終わるのを待って、一緒に車で帰宅していました。かなり真剣にスキーに取り組んでいるサークルに所属していましたが、お酒の場にも合コンの場にも誘われることなく、仲間たちからは「天然記念物」と言われていました。
あまりに外出も、夜遊びもしないので両親が心配したくらいです。ついには、母に無理やりディスコに連れて行かれました。両親と妹と私の4人で……それがディスコデビューです(笑)。
