量刑判断の上で重要なポイント
私はこれまで20年以上にわたり、統一教会による被害の実態を明らかにするとともに、その被害を放置し、さらには選挙において教団と互いに利用し合ってきた政治家らの疑惑の数々を、調査報道により追及してきた。
事件の9日前には、山上からSNSを通じてメッセージを受け取っている。事件を示唆するものではなかったが、私の書いた記事を継続して読んでいる旨が書かれていた。彼が安倍氏をターゲットとした根拠は、主に私の書いた記事や、そこで示した証拠から導かれた可能性が高い。
事実を報じたことが間違いだったとは思わないが、社会を震撼させる大事件の発端となりうる大問題を長年追及してきたにもかかわらず、結果として事件を未然に防ぐことはできなかった。
これはジャーナリストとしての私の敗北であり、同時に、問題を放置してきたメディア、さらには社会全体の敗北でもある。だからこそ、山上がどのように裁かれるのかは、社会全体が注視すべき問題であり、その動機の解明と真実の究明が何より求められるはずだ。
では、実際の公判で審理はどう進むのか。私の脳裏には、いくつもの問いが浮かんだ。
「山上の生育歴は、量刑判断に影響するのか」
「事件が及ぼした社会的影響は、裁判でどのくらい斟酌されるのか」
「安倍氏に統一教会との関係において落ち度があったと言えるのか」
「山上徹也は自らの犯罪について、法廷で何を語るのか」
私はこれらの疑問を解くため、複数の法律家や宗教学者の意見を聞くことにした。
現在、山上は大阪拘置所に勾留されている。事件後、5か月半に及んだ鑑定留置の結果から責任能力を問えるとして、殺人と銃刀法違反の罪で起訴された。その後、建造物損壊、武器等製造法、火薬類取締法、銃刀法の各違反で追起訴され、勾留が続いている。
※本記事の全文(約9000字)は、「文藝春秋」2025年11月号と、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(鈴木エイト「山上徹也は死刑になるのか」)。全文では下記の内容をお読みいただけます。
・世論の空気は量刑に影響するか
・山上の過酷な「生育歴」
・裁判所は踏み込んで判断すべき
・「犯罪を裁く主体は社会である」
・「被害者の落ち度」
・情状証人を認めない検察
・接見に応じようとしない山上
・山上は自身の「絶望」を語るのか

