1日に83万人以上が訪れた日も
最後の2日間、9月12日と13日は土日にあたった。前週の9月5日には83万5832人と一日あたりの最多入場者数を記録、あまりの人の多さに帰宅客を交通機関がさばききれず、午後10時の閉場後も5000人が足止めを食い、会場で一夜をすごしたほどだった。翌6日も会場には78万人が詰めかけ、とうとう午後5時以降の入場が停止された。こうしたことがあったため、最後の土日は厳戒態勢がとられるも、予想に反して入場者は12日は46万、最終日の13日は40万にとどまる(それでもそうとうな人出だが)。
9月13日の閉会式は午前中、名誉総裁の皇太子ご夫妻(現在の上皇・上皇后)や佐藤栄作首相らが出席して、岡本太郎が手がけた「太陽の塔」のそびえ立つ「お祭り広場」にて行われた。
別れを惜しむ人たちが握手を求めて
式典を見られるのは招待者と一部の立ち見客に限られた。そのため、会場の観客にも閉会式の雰囲気を味わえるよう、お祭り広場から退場する各パビリオンのスタッフによるパレードがそのまま会場内のメインストリートへと続いていく演出がとられた。このとき、パレードが広場を出かかったところ、国内外のパビリオンのコンパニオン(当時はホステスといった)が10人近くロイヤルボックスに駆け上がったかと思うと、皇太子ご夫妻にカーネーションの花を次々と差し出し、握手を交わすというハプニングが起こる。
このあと、パレードの行く先々で人だかりができ、別れを惜しむ人たちが次々と握手を求めた。イタリア館のコンパニオンは、握手しすぎて手を赤く腫らしながらも、会期中を振り返って「日本の人たちの心はとても暖かかった」と語ったという(『毎日新聞』1970年9月14日付朝刊)。パレードは最後に再びお祭り広場に戻ってきて、待ち構えていた5万人を超える観客に迎えられる。
気づけば広場にはいくつもの渦ができ、あらゆる人種が握手、抱擁を交わし、ブラスバンドがフィナーレを告げても、渦はなかなか消えなかったと伝えられる。


