4月から半年にわたって大阪市の夢洲(ゆめしま)で開催されてきた大阪・関西万博(正式名称は2025年日本国際博覧会)が、明日、10月13日に閉幕する。

 コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻に端を発する原材料価格の高騰、さらに円安、人手不足による人件費高騰もあいまって多くのパビリオンの建設が遅れに遅れるなど、開幕前から問題が続出し、当初、世間には冷ややかな見方も目立った。そのせいもあってか開幕後しばらく客足は伸び悩んだ。

2025年4月12日、大阪・関西万博の開幕を翌日に控えた会場 ©時事通信社

 しかし、会場の大半を取り囲んで建てられた大屋根リングや、各界のクリエイターや学者らがプロデュースするシグネチャーパビリオンなどが評判を呼び、日を追うごとに入場者は増え、会期末には連日、駆け込みの人たちで大混雑が続いている。人気パビリオンは好評の一方で、抽選による事前予約制がとられ、入れないという不満の声も多い。筆者も、8月末と閉幕5日前と2回会場を訪れたが、2回目の抽選はすべてはずれてしまった。

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「終わりよければすべてよし」とは言うものの、複数の外国パビリオンの工事費が下請け業者に支払われずにいる問題をはじめ、すでに反省点も少なからずあり、閉幕後もしばらく尾を引きそうだ。

 日本国内ではこれまでにも5回、博覧会国際事務局(BIE)が承認する国際博覧会(International Expositionの直訳だが、従来の訳語である「万国博覧会」を略して、いまでも「万博」と称されることが多い)が開催されてきた。それらはどのような幕引きを迎え、会場跡地はその後どうなったのだろうか? 過去の事例は、今回の万博を顧み、跡地や教訓などをいかに継承するのか考えるうえでも参考になるはずだ。時代を追って見ていこう。(全3回の1回目/続きを読む

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■1970年 日本万国博覧会(大阪・千里丘陵)

 1970年に大阪・千里丘陵で開催された日本万国博覧会(大阪万博)といえば、今回の大阪・関西万博の開催に際しても何かにつけて引き合いに出された昭和・高度成長期のビッグイベントだ。3月15日(開会式は14日)から9月13日まで183日間の会期中、じつに6421万8770人もの来場者を集め、万博史上最多記録を更新する。

 当時1億人を超えたばかりだった日本の総人口の半数以上が会場を訪れた計算となり、記録自体は40年後の2010年に開催された上海万博に抜かれたとはいえ、いまなお破格であることに変わりはない。

来場者であふれかえる1970年の大阪万博 ©文藝春秋

 ただ、開幕当初は例年にない寒さもあって入場者数は伸び悩んだ。それが学校の春休みを境にだんだん増え始め、夏休みから会期末にかけて観客が集中することになる。その点は今回の大阪・関西万博と共通する。