4月から半年にわたって大阪市の夢洲(ゆめしま)で開催されてきた大阪・関西万博が、明日、10月13日に閉幕する。

 日本国内ではこれまでにも5回、国際博覧会が開催されてきた。それらはどのような幕引きを迎えたのか、その後、会場跡地はどうなったのか? #1では1970年の大阪万博、#2では沖縄の海洋博、つくばの科学万博を紹介。1990年、2005年に開催されたのは……。(全3回の3回目/初めから読む

2024年10月、大阪・関西万博の開幕半年前イベントで、登壇した「ミャクミャク」(左)と愛知万博の公式キャラクターのモリゾー(右)とキッコロ(中央) ©時事通信社

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■1990年 国際花と緑の博覧会(大阪・鶴見緑地)

 バブルが絶頂に達した1990年、大阪・鶴見緑地で、国際花と緑の博覧会(花の万博、花博)が開催された。これは従来の万博と同じく博覧会国際事務局(BIE)の認定とともに、国際園芸家協会(AIPH)の承認を受けたもので、アジアでは初の開催となった。

1990年4月23日、「国際花と緑の博覧会」を訪れ、オランダ庭園前で観客の歓声に手を振ってこたえる天皇皇后両陛下(当時) ©時事通信社 

 会場となった鶴見緑地は、もともと低湿地帯だったところへ、地下鉄の工事残土などの都市廃棄物で地盤をかさ上げして造成された。花の万博の総合プロデューサーの一人に選ばれた作家の小松左京は、整備後の緑地を視察したとき、大阪市の職員に、そこのパイプからメタンガスが出ているのでタバコを吸ってはだめですと注意されたという(小松左京『巨大プロジェクト動く 私の〔万博・花博顛末記〕』廣済堂出版、1994年)。今回の大阪・関西万博の会場となった夢洲も、もともとはゴミを埋め立てた人工島で、メタンガスの発生が問題となっていたのを思い起こさせる。

あいついで発生した事故やトラブル

 花の万博では「自然と人間との共生」というテーマのもと、会場中に庭園がつくられ、世界各地の植物が集められた。とりわけ、世界最大の花・ラフレシアやヒマラヤの青いケシなどが話題を呼ぶ。一方で従来の万博同様、人気パビリオンには長い列ができ、遊園地や会場内を回る観覧用の乗物も設けられた。これに対し、国際園芸家協会の博覧会としては大規模すぎるとの批判もあった。開幕2日目(4月2日)に観客をボートに乗せて高架水路上をクルーズする「ウォーターライド」が転落したのをはじめ、会期中は事故やトラブルもあいつぐ。

花と緑の博覧会の野原のエリア。後方中央は生命の大樹「いのちの塔」 ©時事通信社

 それでも会期を通して人出は多く、終盤の8月は400万人、9月には544万人が詰めかけた。最終日の9月30日(日曜日)も、台風の影響で大雨が降ったにもかかわらず、入場者は終日途切れなかった。総入場者数は最終的に2312万6934人と科学万博を上回り、興行的には成功を収めたといえる。しかし、最後の最後にそれに水を差すような事件が起こる。一部の観客が会場内の花を持ち去るということが、各所で繰り広げられたのだ。