■2005年 2005年日本国際博覧会(愛知・名古屋東部丘陵)
いまから20年前の2005年、愛知万博(正式名称は2005年日本国際博覧会、愛称は「愛・地球博」)が、愛知県の長久手町(現・長久手市)と瀬戸市、豊田市にまたがる名古屋東部丘陵で開催された。愛知県が1980年代末、21世紀最初の万博を開くと目標に掲げ、中部国際空港の建設などとともに推進したビッグプロジェクトであった。
万博予定地で絶滅危惧種の巣が確認され…
当初、メイン会場は瀬戸市の里山である海上の森に設けられる予定であった。だが、万博終了後には会場跡地に大規模な宅地開発が計画されており、万博の方向性が環境重視へと傾くなかで矛盾が生じていく。そこへ来て、海上の森で絶滅危惧種のオオタカの営巣が確認されたのをきっかけに計画の全面見直しを迫られ、一時は開催が危ぶまれる。その後、市民も参加して計画が再検討された結果、既存の愛知青少年公園にメイン会場となる長久手会場、海上の森には環境に最大限配慮したうえで瀬戸会場を建設することになった。
開幕は3月25日で、前日の開会式に続いて一般の入場が始まったが、初日は想定の半分の約4万3000人にとどまり、主催する万博協会の幹部が「開幕日が最少人数ではあまりに格好悪い。台風で入場が中止になれば、最少人数を塗り替えられるかも」と自虐交じりに漏らすほどだった(『中日新聞』2005年9月24日付夕刊)。当初、禁止された手作り弁当の持ち込みも、世間から批判を浴び、当時の小泉純一郎首相の指示で解禁されたりと、問題もあいついで起きた。
だが、かつての大阪万博や科学万博と同様、会期末が近づくにつれて駆け込み客が殺到する。閉幕の1週間前の日曜日、9月18日には一日の最多入場者数となる28万1441人を記録し、正午すぎに会期中初めて入場制限がかかった。
最終日の9月25日の開門前には、徹夜組を含めて計4ゲートに4万人超が並び、西ゲートでは行列が会場を出て一般道路へ最長3キロ以上にまで伸びた。このため、開場が50分前倒しされて午前8時10分となった。この日も24万人を超える人出があり、夜まで絶えることがなかった。

