「熊を撃ったんですか。この間から、窯の近くを歩いてウロウロしていたのがおったけれど、きっとそれですね」

 倒れた熊をそのままにして緩斜面の上の小道に出た父は、右回りに道を辿って、滝の上から上流の二股の山裾にある二号の窯をめざして歩きだした。その窯では、高橋の息子二人が立て込みの終わった窯の口焚きをするため、昨夜は徹夜の仕事をしていたはずである。

 二号の窯に着くと、昨日の朝から一昼夜にわたって焚き続けられた口火がすでに窯の中全体に回ったのであろう、2人はゴウゴウと燃える口火の熱さに顔をそむけながら口石を積んでいた。

「ご苦労さん。口焚きはもう終わったのか、早かったな」

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「はい、おはようございます。鉄砲の音が聞こえていましたが、なにか撃ったんですか」

 と兄の松男が聞いた。

「うん、熊を撃ってきたよ。手がすいたら手伝ってほしいと思って来てみたんだ」

「熊を撃ったんですか。この間から、窯の近くを歩いてウロウロしていたのがおったけれど、きっとそれですね」

木に登るヒグマ(北海道斜里町) ©時事通信社

「そうかも知れないな。今朝、お前の家の馬小屋を襲ってよ、馬を押えているところを親父が後ろから鉞で打って傷を負わせてしまったものだから、手負いのままではおけないと思って撃ったんだが、そのままにしてきたから、仕事がすみ次第、うちまで運んでくれないか」

「馬を襲ったって? 親父が熊を? それで、誰も怪我はなかったんですか。馬は大丈夫でしたか」

 と口速に松男が聞いた。

「うん、首の所に少し傷はあるけど、大丈夫だ」

「それはよかった。ちょっと待っていて下さい、大急ぎで口石を積んでしまいますから」

 松男は弟の建造を相手にすぐさま口石積みを終わらせた。そして片付けを後回しにした2人は、父とともに下山の途についた。

 咲梅川の本流もこの辺りまでくると水量が少なくなって、ほんの小川程度の流れとなり、ここで二股に分かれる。上流に向かって右の支流は、炭出し小屋の後ろから少し進んだ所で、急に幅が狭くなってしまう。左の本流も1キロたらずで源流となり、それを上り詰めた向こうの山陰は急坂となって三石川に落ち込んでいる。

 さて二号の窯を後にした3人は、滝の下に下ってヤチダモの根元に立った。熊は四肢を投げ出した格好で息絶えていた。調べてみると、右耳の下に鉞による傷があり、跳び上がった際の銃創は、右後足の付け根にあたって骨を砕き、貫通していた。

 ボサヤブを突っ切った熊は、ヤチダモの根方に倒れ、そこで止(とど)めの弾を受けたのである。最後の弾は、左の脇腹、それも前足の付け根のところから入り右の腹に抜けていた。弾が貫通した穴は大きく荒れて、そこから内臓が垂れ下がっていた。

 私が学校から帰った時には、肉になった熊は皆に分配され、皮はたっぷりと塩を塗られてナメシに出されるばかりになっていた。

 これが、父が初めて撃った羆であった。

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