戦前~戦後の北海道の奥地では、ヒグマの気配を身近に感じて暮らしていた人間とヒグマの死闘が繰り広げられていた。民家のすぐそばにやってくるヒグマの恐怖などが克明に綴られた名著『羆吼ゆる山』(今野保著、ヤマケイ文庫)より一部を抜粋して紹介する。(全2回の1回目/後編に続く)

エゾヒグマ(北海道斜里町) ©時事通信社

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「熊がきて馬小屋にいる馬をいま襲っている」

 いつしか夏がゆき、秋風の立ち始めたある朝早く、咲梅川の本流に焼子と馬車追いを兼ねて入山している高橋の娘で、清子と同級生の啓子が、息を切らして走ってきた。

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 高橋の家は事務所から200メートルほど奥にあり、駈けてきたとしても息が切れるほど遠く離れているわけではない。だが、啓子の様子は只事ではなかった。その話によると、熊がきて馬小屋にいる馬をいま襲っているから、父に鉄砲を持ってきてほしい、というのである。

 その頃、父は猟銃を3挺持っていた。その中の一挺、大型獣専用のウインチェスター401というライフル銃を持って、父が高橋の家へ向かった。その後に従って行ってみると、熊はすでに山へ逃げ去って姿をくらまし、馬はと見れば、たてがみから平首にかけて大きな傷がパクリと口をあけており、その傷口から少し血が流れ出していた。

 子供たちはもうすぐ学校に出かける時間なので、それぞれが家に戻った。朝食をすませ、登校の準備もできて待っていると、啓子が妹の久子を連れてやってきた。カバンを肩に外へ出ると、支流の沢からも学校に行く子供たちが出てきた。そして途中の小沢の入口には従妹のフミが待っていた。

 6年生はフミと私、5年生は月山建三、高橋啓子、大橋清子の3人、4年生は佐藤幸一が一人、3年生は妹の実子、高橋久子、岸絹枝の3人で、月山金四郎一人が2年生であった。

 雑木林を抜けて土橋を渡ると、牧草畑の外れに立って私たちが来るのを待っている、大橋清子の姿が見えてきた。これで、この山から学校に通う子供たちが全員そろったことになる。