「俺たちはさんまにはとても敵わない」
若き島田紳助やオール巨人もその様子に青ざめて「さんまがいる時といない時の楽屋は空気が全く違う。まるで別世界や。俺たちはさんまにはとても敵わない」と言わしめた程の伝説の楽屋仕切りだった。
主にプロの出演者対象のトーク番組「踊る!さんま御殿!!」の見事なスタジオ仕切りの技はもうここで既に完成していたとも言えるのだ。
そして1980年代に入ると、フジテレビが仕掛けた漫才ブームや「オレたちひょうきん族」などが人気を得て、お笑い界に大変革が起きる。
明石家さんま、島田紳助ら若手芸人達の主戦場は寄席や演芸場からテレビ番組へと移行し、人気者はテレビ局からテレビ局(ラジオ局)へ渡り歩き、やがてそれぞれ看板番組を持つに至った。主な収入源も寄席のギャラからテレビの出演料やコマーシャルのギャラになりその額も幾何級数的に上昇した。
従って楽屋の様子も著しく変わった。メインの人気お笑い芸人達やタレントのテレビ局の楽屋には担当スタッフたちが集まり、時に出演ゲストが順番待ちで短い挨拶をしに来る。
本番を控えたさんまのテレビ局の楽屋は終始爆笑に包まれているものの、どこかピリリとしたムードがある。さんま本人が「笑いの芽」を常に探し求めているし、それに対峙するスタッフたちも「いい楽屋ネタをさんまさんに持っていかなければ……」と準備して臨んでいる。そのため、和やかなムードであるにも拘わらず、楽屋にはどうしてもまるでカメラが回っているかのような独特の緊張感が漂うのである。
