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圧倒的な存在感を放つトンネルが造られた“経緯”
吹屋地区は羽山第二隧道から10キロほど北に位置し、かつては当地にある吉岡銅山により栄えていた街だった。銅山の歴史は古く、今から1200年以上前から銅が採掘されていたと言われている。江戸時代には銅とともに採掘された硫化鉄鉱を材料に、赤色顔料のベンガラが日本ではじめて生産された。ベンガラは輪島塗や九谷焼にも使われ、吹屋のベンガラは国内で圧倒的なシェアを占め、ベンガラは銅山に次ぐ吹屋の大切な産業となっていった。
明治になると三菱商会によって鉱山の近代化が進められ、大正時代にかけて隆盛を極める。この頃が最盛期にあたり、吉岡銅山は日本三大銅山に数えられた。
そうした背景もあり、吹屋往来沿いには豪商たちが競うように優れた意匠の町家を建設。町家を含む集落の家々は、赤銅色の石州瓦とベンガラ漆喰壁に統一され、集落全体がベンガラ色に染まっている。
ベンガラ色に統一された町並みは現在も維持されており、とても見応えがある。他に例を見ない赤い町並みが高く評価され、昭和52年には岡山県初の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、その後、令和2年には「ジャパンレッド発祥の地」として文化庁の日本遺産にも選定されている。
鉱山で大いに栄えた吹屋に必要不可欠だったのが、約60km離れた瀬戸内海に面した“商業圏”につながる“道”だった。吹屋からは鉱石やベンガラを運び、瀬戸内海からは新鮮な鰆や鰤などの魚を吹屋に運ぶ。そんな物資の往来があったのだ。
