この先に待つ享保の飢饉

 まず、当時の米会所での取引がどのようなものだったのか、描写が実に興味深い。帳合がどのような手順で行われるのか。事務処理はどのような仕組みなのか。相場に急激な乱高下があったとき、あるいは何かトラブルがあったときにはどんな対処をしていたのか。現代の言葉を交えて説明してくれるうえ、データも多く紹介されるのでとても分かりやすい。会所の活気と熱気が伝わる興奮と、当時の経済のあり方を知る刺戟を同時に味わえるのである。

 物語の主人公は帳合商を生業とする犬橋屋のおけいと垓太の姉弟。彼らは架空の人物で、彼らのエピソードには創作もあるが、基本的にここに描かれる堂島の出来事は史実に則っている。幕府が再三に渡って手を出そうとしたことも、堂島側が大岡越前に直訴して最終的に帳合を認めさせたことも、史実である。本来なら堅い話になりそうなところを、著者の軽妙な語り口と登場人物の魅力でぐいぐい読ませるのはさすがだ。

 最大の読みどころは、武士の生活のために米の価格を安定させようとする幕府と、市場の自治を守ろうとする堂島の丁々発止の対決である。経済サスペンスのような展開に思わずにやりとするが、この先に待つのは享保の飢饉だ。そのとき幕府は、そして堂島の帳合商はどうしたか。終章で描かれるその顛末をどうかご覧いただきたい。

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 ここに描かれるのは、そもそも先物取引とは何のために存在するか、というテーマである。儲けたいから――それだけではない答えが、ここには用意されている。まさに現代を照射する1冊である。

天下の値段 享保のデリバティブ』門井 慶喜

(門井慶喜著、文藝春秋刊、税込1980円)

おおやひろこ/1964年生まれ。書評家・文芸評論家。著書に『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』など。

出典:労働新聞社 令和7年10月6日第3515号7面

【書方箋 この本、効キマス】第125回 『天下の値段 享保のデリバティブ』 門井 慶喜 著/大矢 博子
https://www.rodo.co.jp/column/205915/

天下の値段 享保のデリバティブ

門井 慶喜

文藝春秋

2025年8月7日 発売

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