「取材を受けます」先方から突然の連絡が
転機は「週刊現代」での連載「ザ・芸能界」の原稿にあった。田崎氏は第3回の原稿に「バーニング創業者の周防郁雄は、'75年にジャニーズ事務所から郷ひろみを移籍させ、繁栄の礎を築いていった。バーニングのビジネスについては、稿を改めて詳述したい」と書いた。
「軽い気持ちだったんですよ。取材は難しいよなあと思いつつ。ただ、やりたいとは当然思いますよね」。ところが、その原稿を読んだ周防氏側から「内容によっては取材を受けます」という連絡が編集部に来た。「全然、裏ルートとかは使っていない」と田崎氏は振り返る。
世間の噂とは大きく異なる実像
実際に会った周防氏の印象は、世間のイメージとは大きく異なっていた。「めちゃくちゃソフトな人」だった周防氏は、約束の時間よりもかなり早く現れた。
「優しいし、言葉にも気遣いを感じた。年下の相手にも上からでなく、非常に丁寧な口調」と田崎氏は語る。ただし、サザンの件に関しては「声が大きくなるとか、動きがちょっと強くなる時もありました」という。
周防氏はなぜ取材に応じた?
周防氏が取材に応じた背景には、情報環境の変化があったのでは、と田崎氏は語る。
「昔だったら新聞や週刊誌、いわゆるプロフェッショナルの方が取材して書く。ある程度の節度があったけれども、今はネットで誰でも噂話を書けますよね。書き込みが増えることによって、噂が真実として広まってしまう。芸能界側から伝えていかなきゃいけない、という意識が高まっている気がする」
サザンの件は「そもそもうちのタレントだという言い方でした。それをちゃんと喋りたいからこそ、僕の取材を受けた」という動機があったという。「誰も周防さんにそういうことを正面から聞いたことがなかった」のだ。
田崎氏の9年に及ぶ取材は、芸能界の重鎮たちが沈黙を破り、自らの言葉で歴史を語ってもらう貴重な機会を生み出すこととなった。

