建築畑のエースとして

 現在の大成建設は、すっかりリーディングカンパニーのナリを潜め、スーパーゼネコン5社の中で、最もパッとしない。業績の低迷が今度の騒動の遠因となっているのは、間違いない。5社のうち江戸時代から神社仏閣の造営を担ってきた竹中工務店は建築業を得意とし、土木事業は手薄だが、他の4社はどこも建築と土木を二本柱としている。そのため経営の舵を握る社長や会長選びは、双方のたすき掛け人事によるケースが多い。

 大成建設の山内は、入社早々から社長候補と目された建築畑のエースだ。大阪府立天王寺高校から東京大学工学部建築学科に進んで1969年6月、大成建設に入社した。2002年4月に常務と建築本部長を兼務し、07年4月には土木畑の葉山莞児から社長の椅子を譲り受ける。

訴えられた相川社長 Ⓒ時事通信社

 社長就任早々、08年9月に世界中が大打撃を被ったリーマンショックに遭遇した。そこで山内は海外事業を整理し、09年3月期の赤字決算から一挙に業績を立て直す。社長在任は15年4月までの8年間だ。後述するが、8年のうちおよそ6年間は、会長不在の経営トップだった。そこから東大建築学科卒の後輩である村田誉之に社長を託し、自らは23年3月まで8年間、会長を務める。社長、会長の在任期間は、実に16年の長きにわたり、大成建設の経営トップに君臨してきた。建設業界はもとより経済界でその名が轟き、「大成建設のドン」あるいは「大成の天皇」と異名をとる。

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 山内は建設業界の大立者として17年4月から21年4月まで、日本建設業連合会(日建連)の3代目会長に就く。日建連は大手や準大手のゼネコンが加盟する業界団体だ。また17年の5月から21年6月までは、日本経済団体連合会(経団連)副会長も務めた。その経団連の副会長任期満了を迎えると、さらに21年6月から大成建設会長として、東京商工会議所の副会頭に就いてきた。そしてこのあと23年4月から名誉顧問となり、そこで自らの会社の解任劇に遭遇するのである。本人がことの経緯を説明する。

「それまで鹿島会長の中村満義さんが商工会議所の副会頭でしたけれど、リニア談合事件などがあって退任することになりました。『代わりに建設業界の代表として副会頭にどうか』と誘われましてね。私自身、ちょうど経団連の副会長任期を終える頃だったので、中村さんの後釜として商工会議所の副会頭を引き受けました。その副会頭任期がまだ残っているところで、今度の解雇通知を受けたのです」

(敬称略)

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