保健体育の先生に髪を引っ張られたことも…
――14歳で初めての育児。特に何が一番大変でしたか。
YUKA とにかく知らないことが多くて大変でした。ミルクをあげたらゲップをさせるとか、首が据わらない時期の抱き方とか。勉強する時間もなくて、毎日少しずつ覚えていく感じでした。
でも「若いから大変」というよりは、初めての母親がみんな通る悩みと同じでしたね。
――転校先では何か言われました?
YUKA 先生から白い目で見られることはありました。保健体育の女性の先生の授業で、出産シーンのビデオを観た時、なんともいえない空気を感じたのを覚えています。
他にも、私のことを「生意気だ」と思っていた先生もいたようで、他の生徒より厳しく指導されることが多かったです。
――具体的にどんな指導が。
YUKA 転校してすぐの頃、体操服の準備が間に合わなくて見学を選んだら、体育倉庫に入れられて引きずり回されたり、髪を引っ張られて怪我もしました。
さすがに異変を感じた叔母が学校に連絡して、先生が謝りに来ましたけど……今の時代なら大問題ですよね。
逆に担任の先生はすごく良い方で、娘の様子を見に来てくれたり、抱っこしてくれたりして、本当に支えてもらいました。
ただクラスでは、昨日まで仲良かった子が次の日には冷たかったり。石を投げられたり、ひどいことを言われることもありました。ヤンチャな学校だったので、友人関係には悩みましたが、「自分は親だし」って言い聞かせて、開き直ってました。
働ける時間も限られているのですぐにクビになることも
――同級生が放課後に遊んでいる姿を見て、羨ましく思うことは?
YUKA 叔母が月に数回、娘を見てくれていたので、その時に友達と遊びに行ったりしてストレスを発散してました。
叔母の子どもたちもうちの娘と兄妹のように遊んでくれて、すごくいい環境だったと思います。
――中学卒業後は美容の専門学校へ?
YUKA はい。大阪の学校に進学しました。娘を保育園に預けて、バイトもしながら通っていました。
17歳で美容師免許を取って大阪の美容室で働き始めたんですが、シングルマザーで働ける時間が限られていたので、すぐにクビになることも多かったです。
最終的に実家の理容室を夜中に借りて、エクステやカラーを個人でやるようになって。そのあと両親に借金してエクステ専門店を開きました。
――10代でシングルマザーとして育てるのは相当大変だったのでは。
YUKA 出産前から最短で手に職をつけるために計画を立てていました。どんな学校に行くか、どこで働くか、いくらかかるか全部書き出して、なんとか自分で育てていけるようにちゃんと考えていました。
親から「一生あなたにはハンデがあって生きていく。一人じゃないし、食べさせていかないとダメなんやで」「施設に預けるのもあるんだよ。どうする?」って言われたときには、「自分で育てます。最初は金銭的に頼るかもしれないけど、ちゃんと返します」と宣言しました。
14歳で娘を産んでから17歳まで、ずっと誰かにサポートしてもらっている状況だったので、当時は金銭的にも自立したくて必死でした。

