9月に開催された第30回釜山国際映画祭(略称BIFF)。1996年に韓国第二の都市である釜山在住の映画人たちによって誕生した韓国初の国際映画祭は、今や専用劇場”映画の殿堂”を有するアジア最大級の映画祭に成長した。今年は30回を記念して、さまざまなイベントが催されたが、中でも目立ったのが韓国を代表する俳優イ・ビョンホンの活躍だ。
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大ヒット・ドラマ「イカゲーム」のフロントマン役で世界に名を轟ろかせ、最近でも「KPOPガールズ!デーモン・ハンターズ」の声優を務めるなど、今や国際的なスターとなったイ・ビョンホン。今年は開幕式の司会を単独で担当し(例年男女二人で行っていた)、さらに開幕作であるパク・チャヌク監督作『NO OTHER CHOICE』(原題:어쩔수가없다。「仕方がない」の意。2026年3月日本公開予定)の主演でもあり、記者会見、上映後のQ&A、オープントークなど幾つもの企画に登場。
中でも映画祭の人気企画である「アクターズ・ハウス」では、1991年のデビューから35年間の演技人生をじっくりと語った。会場となった東西大学ソヒャンホールに別会場から駆けつけたビョンホンは、10分ほど遅れて登場。「渋滞に巻き込まれて、トイレに行くのを我慢してやってきました」と挨拶して、1000人もの観客を沸かせた。
“兵役の代替服務”と転機となった『JSA』出演
1970年生まれのビョンホンは、大学生だった1990年に韓国の公共放送KBSの公募タレントに採用され、翌91年にドラマで俳優デビューした。
「自分は俳優になることを幼い頃から夢見てたわけではなく、母の友達がオーディションに応募したんです。それまで、演技をしたこともなかった」
BIFFが30回ということで、30歳の時に何をしていたかという質問には、「その少し前に父が亡くなり、経済的に厳しく、家で稼げる人間は私しかいませんでした。そこで(兵役の代わりに)城南市建設管理公団の公益要員として6か月間勤めていました。当時はそういう人が多かったんですね」と明かした。これは韓国では父がいない家庭の長男は兵役の代替服務が可能だった時代という意味だ。今はこの制度は廃止されている。
「任務が終わる直前、パク・チャヌク監督の『JSA』(2000)のシナリオをもらったんです」
韓国と北朝鮮の共同警備区域を舞台にした『JSA』は、それまでヒット作のない若きパク・チャヌクにとって起死回生の一作だったが、第一印象は悪かったと言う。



