「生きた細胞」を使う理由

 そのためには個々のニューロンにかなり近づく必要があります。これまでに知られている方法はどれも侵襲的で、脳に物理的な電極を挿入するか、脳を遺伝子改変して大規模な光学システムを使うかになりますが、どちらも人間で行うには深刻な制約があります。

須田桃子氏 ©文藝春秋

 まず人間の脳の遺伝子改変は、現実的に広く実用化できる方法ではありません。また、電極を貫通させれば、高解像度を得られる代わりに脳を傷つけてしまう。脳には「空きスペース」がないので、電極を挿すたびに数千個の細胞が破壊されてしまうのです。重度の脊髄損傷やALS(筋萎縮性側索硬化症)、閉じ込め症候群の患者なら臨床応用も正当化されるかもしれませんが、広帯域で緊密な通信をするために何百万本もの電極にスケールアップするのは不可能です。

 私たちはよく、生物の進化から着想を得ようとします。なぜなら、進化は人間よりずっと優れた「エンジニア」だからです。

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 視神経や(内耳で音の信号を脳に伝える)蝸牛神経を見てもわかるように、脳は外界や体内と接続する際、頭蓋神経や脊髄神経などの少数の束(軸索線維束)を通して情報をやりとりしています。

 では、もし脳に新たな「デジタルの回線」をつくるとしたら、生物はどうするでしょうか? きっと、生きた細胞からなる新しい脳神経を生み出すはずです。デバイスに生きたニューロンを詰め込み、それを脳に移植する。それが私たちのアイデアです。

移植されたニューロンが脳内のニューロンと結合する(サイエンス社HPより)

 電気デバイスや電極を刺すのではなく、デバイス表面に埋め込んだニューロンを脳内へ伸ばして新しい化学シナプスを形成させるのです。ニューロン同士なので完全に生体適合的で、脳を傷つけません。脳はもともとニューロンの集合体なのですから。

 デバイスは脳の表面に置くだけです。デバイスの底部には細胞を閉じ込めるハイドロゲルがあり、そこから細胞が自発的に伸びて脳の一部になっていきます。脳へのダメージはありません。

――移植したニューロンが脳に元々あったニューロンとつながり、機能するということですか。

 その通りです。マウスを使った実験では、移植ニューロン経由でマウスが走る速度を変えたり、移植ニューロンを刺激することでマウスの行動選択を変えたりすることができますが、それは(移植ニューロンと既存ニューロンとの間で)シナプスが形成され、双方向の情報のやりとりができていることを示しています。

 これまで、主に齧歯類で実験をしてきましたが、これからはウサギやブタ、サルなど、より大型の動物でも研究を進める予定です。

※本記事の全文(約3500字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(須田桃子「10年以内にニューロン移植で脳とAIをデジタル接続する」)。記事ではこの他にも、プリマの米国発売の時期、他の目の難病にも適用できる可能性、現在開発中の新たな遺伝子治療などについても語られています。

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