念のために書いておくと、もともと田原氏はテレビディレクターだった。「朝生」を初めて見たときはびっくりした。いい大人たちが人の話を聞いていない。自分の主張ばかりする。そのうち怒鳴り合いが始まる。いったんCM。この繰り返しなのだ。何が起きるかわからない生放送はテレビの醍醐味そのもの。テレビっ子だった私はまんまと注目してしまった。田原氏は「ボク馬鹿だからわかんないんだけど」と言いながらかき回す。相手にキレがないとすぐに見放す。田原氏は司会というより興行主であり猛獣使いであった。

「田原氏のからくりがわかったような気がした」

 そんな猛獣使いにあやつられた文化人は多士済々。舛添要一は元祖ガヤ芸人であり、野坂昭如はマイペース、西部邁はニヤニヤしながら煙草を吸い、猪瀬直樹はいつのまにかお手製のフリップで何かのデータを出している。そしてトドメは大島渚の「バカヤロー」。めちゃくちゃな空間であり、その調整をしているのが田原氏だった。

 数年前、田原氏のからくりを言語化する機会を得た。私が『ヤラセと情熱』という本を書くために、かつてテレビ朝日で放送されていた『水曜スペシャル』の『川口浩探検シリーズ』について関係者に取材し、当時の資料を調べていたときだ。

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 テレビ朝日は1985年にワイドショーでヤラセ事件を起こしていた。暴力場面が絡んでいたので社会問題となり番組は打ち切られ、ディレクターは逮捕された。しかし改めて調べてみると事件の当事者である元ディレクターは翌年に本を書いていた。あれはヤラセではないと主張していたのだ。

 ではあの暴力場面は何だったのか? 当時のテレビ関係者の証言を調べると「ヤラセ」ではなく「ヤリ」と言っていた。この言葉は元ディレクターも自著で使っていた。ではヤリとは何か? 台本や演出ではなく自分からやりに行く、という意味らしい。設定された状況があるからこそ“アドリブで火花を散らす”ことができる構造のことを言うのだ。

 ヤラセとは絶妙な違いがあるが、そこで思い出したのが討論番組で田原氏がいきなり怒る場面だった。あれは奮起して自ら見せ場を作っているヤリであって、ヤラセではないのだ。そう考えると田原氏のからくりがわかったような気がした。やはり生粋のテレビ屋なのである。